虐待の連鎖を断ち切るため、大人になってか
幼い頃は親戚からも可愛がられた筆者がやがて母の再婚の頃から人生の負の面へと転がっていく。義父の性的虐待は痛ましく、かつて幼い頃に自分が父に尻を撫でられていたことを思い出した。父に性的な意図があったかは確認できていないが酒に酔った父は何がキッカケで爆発するかわからない。私は父に近寄るのを嫌がる母や弟の代わりに父をなだめる役割を引き受ける他なかった。いやまあ、触られて不愉快な感覚とそれを我慢して受け入れなければいけないという責任感で泣きそうだったが泣くとそれはそれで父がキレるかもしれないと思うと泣くに泣けなかった。私は男性なのだが男性も性的な暴力を受けるのだということはもっと世間に認知されてもいいんじゃないか?
やがて筆者は大学進学や就職を経験するがあえて困らせることで他人の愛情を試す行動を取るようになる。それは不安から来るものだ。相手の行動や気持ちが信じられないから仲良くしてもらってもそれが本心からのものなのか、永遠に続くものなのかを疑い続ける。その行動は疑念、試す、相手が受け入れる、または怒る。そこで満足できず、相手に対してさらに疑念と不安が増していく。それは本人にはその行動の理不尽さが認識出来ない。仮に他人からその理不尽を指摘されたとしてもそう簡単には不安や疑念が払拭出来ない。
こうした問題は一人で抱えるには荷が重すぎる。しかし、本書でも描写されていたが素人が手を差し伸べても共倒れになってしまう。また虐待を受けた当人が他人を助けようとしてしまい、キャパオーバーから互いに傷つく結果になることもある。そうした状況を打破するために経験と知識のある専門家の助けが欲しくなる。そんな専門家にアクセスする環境はまだ十分には整っていないように思う。私としてはそうした環境整備のために自分には何ができるのか、と考えている。
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