古関ファン必読の書
古関氏みずからの言葉で綴られた作曲のプロセス。
憶測でもフィクションでもなく、自身の言葉で綴られた回顧記というのが嬉しい。
特に感動的なのが、なぜ盟友菊田一夫逝去以降、作曲家として筆を折ることになったのか、という最終部。
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ああ、寂漠。私の心に空洞ができた。それが日増しに大きくなっていく。オペラもミュージカルも、舞台音楽も、何もかもーーやりたいと思っていたものが、みんなできなくなってしまった。そしてこの時、菊田さんが幕を降ろしたのなら、私もそうしようかと思った。
ややしばらくして、また新しい作曲をしていこうとひそかに決心してみたが、しかし私に意欲を湧かせてくれる人は現れなかった。
とはいえ、作曲自体への意欲が衰えたわけではないという。
ならば、何故、今私の脳裏からは音楽が際限もなく湧き上がってくるのだろうか。私の想念は、新しい音楽になって、より具体的な姿をとって現れる。むしろ、近年、この傾向は益々強くなっているではないか。
どうして私は五線紙に書き取らないのだろう。「めんどう」だからなのか。違う。筆が間に合わないし、五線紙に書くこと自体がまだるっこしいのだ。それよりは、ジッと耳をすましている方がいい。情景をしっかり思い浮かべさえすれば、私は新しい音楽が聞けるのだ。これこそが、この道一筋に歩んできた私に与えられた特権ではないかと思う。
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作曲家として筆を折られ、晩年は空白の時を重ねられた古関氏だが、のちに妙な憶測でこの空白が埋められなかったのは幸いなことだった。もちろん、古関メロディを愛する一ファンとしては、もっともっと曲を残してほしかったという貪欲なる気持ちがないわけではないが、氏の頭のなかでは最後の最後までメロディが溢れ出ていたのを知ることができたのはなによりも嬉しい。
本書は戦後まもなく進駐軍によって建物を接収され、日本人が不便をかこつ箇所の記述など、歴史的な記述も興味深いが、なによりも俊逸なのは、菊田一夫との綱渡り的な放送の様子が記述された箇所だろう。
久しく読み継がれてほしい名著。
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