陰謀史観はほどほどに

鎌足の出自は、「大織冠伝」に書いてある通りに、父:中臣美気祜(御食子)、母:大伴夫人であるとするべきでしょう。 日本書紀に出自が書かれていないからと言って、百済人のなり済ましであるとは、陰謀史観にも程があるというべきです。 国史である書紀に、「臣」の系譜を書くことはあり得ないと考えるのが常識でしょう。 歴史作家さんですから、面白く書かれるのは当然でしょうが、ほどほどにして頂かないと世を惑わすことになるでしょう。 家紋(丸に三つ柏)と苗字(荒木田一門のひとつと一致)から判断して、当方は中臣氏のようです。 藤原系の人物にはかなりの違和感をもつことがあり、「藤原氏の正体」を読んでウンウンと頷くこともありましたが、 藤原が中臣から分かれて1300年も経った今では、もはや別系統同然、その一方で根底では共通するものがある、とも感じます。 中臣は物部に金魚のフンのように寄り添っていたということですが、仏教を巡る物部と蘇我の争いに、 神仏並立という形で決着をつけたのが中臣であったというべきです。 その後は律令制度を整え、天皇家を支えた。 まさに中「臣」です。