邪正論

この宮台っていうのは口が悪いなあ。「日本人の劣等性が露呈した!」なんて言っても日本人に届くはずがない。藤井の「人を動かす『正論』の伝え方」によると、こういうのを「専門用語を多用した『邪正論』を振り回し、聞く人のことを考えない専門バカ」というらしい。この本は対談形式だが、藤井はそんなことを感じながら宮台の話を聞いていたのかね。 一方宮台は周りの事を気にして自分の意見を言えない日本人のことを「ヒラメ」と呼んでいる。ひょっとして斜視をインプライしている? ポリコレ棒でぶん殴られないか心配だ。そしてそれは「邪正論」に対して何も言えずに黙って聞いている、藤井の事じゃないか。つまりお二人の(心の中の)結論としては、宮台は専門バカ、藤井はヒラメということか。 それはさておき、私は現代日本に蔓延する利己主義者と詐欺師の問題は、明治時代に何の考えもなく国家の意志決定システムを欧から輸入したことに始まると考えている。意志決定というのは日本に限らずその文化の価値観の全てが込められている。文化を「接ぎ木」して、それが期待通りの花を咲かせると思ったら大間違いだ。ナポリタン・スパゲッティーやライスバーガーやグループサウンズとは訳が違う。 そもそも政党制というのは、利己主義者と詐欺師と理想主義者のぶつかり合いだ。宮台によると日本人にはパブリックな議論をする文化がない(理想主義者が生まれない)とのこと。じゃあ残るは利己主義者と詐欺師だけ。失敗は火を見るより明らかだ。要するに利己的で三枚舌の悪名高いイギリス人の形だけマネをしたから、悪いところだけ取り入れてしまったんだ、日本人は。 よって日本人は思想のフリーライドを止め、自らの文化の中から意志決定システムを構築しなくてはならない。ベースとなり得るのは日本では「論語」しか見つからない。儒教ではない。孔子は目下の者が目上の者に絶対服従だとか、礼だけが重要だ、とは言っていない。なにしろホームレスに近い本人が国王達に説教して回っていたからな。 というわけで、早急に論語のサビ落としと現代化を始めよう。このままでは完全に東洋政治哲学が忘却され、西洋政治哲学を相対化する機会を失ってしまう。これはそれを絶対視していることを気づけないという点で、人類にとって想像を絶するほどとてつもない損失だ。 ホント、明治から続く、藤井の言うところの「専門バカ」は罪深い。