藤やぶ牧師の活動が紹介されたテレビ番組を見て感動し、購入しました。
家族もあり、金銭的な余裕など全くないのに、全てを失った人々を招き入れて共同生活することは、自分の生活もそれに合わせなくてはならず、生半可な決意ではできないことがよくわかります。
「ハローワークまで15キロ、自転車で行かなければならないという私(牧師)に、共同生活を始める多くの人は無理だという反応をする。バスか電車で送ってもらおうと考えているようだ。暖房も極力使わないようにすることを選ぶのは、意外とハードルが高い。みな暖房をガンガン入れて、薄着をする。お皿洗いも、お湯を使わなくていいところでお湯を使う」この箇所を読むと、まるで私のことを言われているようだと反省させられました。
牧師が助けた人々が、今度は牧師や仲間を助ける側に回ることから、人は一人では生きられないように神様がお造りになったのだとわかります。神様は、私たち一人一人の人生に良い計画を備えてくださっているそうですが、自分を取り繕える範囲を超えた地を出さざるを得ない距離感の中での生活から、お互いの弱点全てが神様の光に照らし出されて、互いの弱さを補うための各自の役割がクリアになっていくのだと思いました。
「目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」(聖書)
藤やぶ牧師は、聖書にある愛の実践を伴う信仰に立ち、神様が必ず助けてくださるという神様への厚い信頼を持ち続けていらっしゃる方だと思いました。
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