翻訳者として名前がある杉田玄白は実は和蘭語を殆ど知らない、という点が驚き。実際の翻訳作業をしたのは、「解体新書」に名前が載っていない前野良沢。だけど杉田玄白が翻訳者の肩書きを詐称しているわけではない。翻訳作業をチームで行っていて、「解体新書」をプロデュースしたのは、杉田玄白なんだろうな。彼のチームをまとめる努力と出版に関する注意や熱意が無ければ日の目を見なかっただろう。 それはそうと、前野良沢が何が書いてあるかさっぱりわからない「ターヘル・アナトミア」を前にして「皆目見当もつきませぬ」とつぶやき、杉田玄白が「櫓も舵もない船で大海に乗り出すようなもの」、という状態から、パズルを解くようにして一語の意味を解き、解らないところに印をつけて後から振り返る、といった作業を行い、翻訳事業を推進する。後に杉田玄白が「蘭学事始」に蘭学の黎明期を記録に残す為に記した当時の学者達の熱気が伝わってきて興味深い。当時と比べ、格段に外国語マスターの手段が発達した現代であって外国語に対する挫折を味わう私を含む現代人に活を入れる必要があろう。熱意を持って、根気良く続ければ成されぬものはない、という見本である。 それにしても、興味深いのは二人とも長生きをし、その老後は対極的であり、「解体新書」の翻訳書としての未完成度から翻訳者として名前を載せず、学者として弟子をとらなかった、ある意味で学者バカの線を行った前野良沢は、貧しくも、和蘭語の本を訳出する事に生涯をかける。対して、杉田玄白は前野良沢に対する引け目を持ちながらも、多くの家族や弟子に囲まれ、名誉と富に恵まれた老後を過ごす。作者があとがきで書いている様に、「二百年前に生きた二人の生き方が、現代に生きる人間の二典型にも思え」、どちらがいいとか悪いとか、得だとか損だとかいう問題ではなく、そのような極端な人物像が面白い。 この度、この小説に関心を持ったのは、大黒屋光太夫の帰国した後にその体験を記録した「北槎聞略」の著者である桂川甫周や、大槻玄沢を中心とした文化人の集まりというかサロンがあることを知り、当時の蘭学者というものに関心を持ったからであるが、なかなか個性的で人間味あふれる人物が多い事に驚いた。江戸時代というのは、平和で貧しく、排外的な時代ではあるのだが、そういった中で意欲的に外国の知識を吸収しようとした当時の文化人にますます興味を持った。
太平洋戦争初期ドーリットル機動部隊を発見した監視艇の乗組員が捕虜になり捕虜の目から敵国米国を見、戦争の推移を記した記録文学。 当初捕虜になったことを恥じて自殺しようとするが、それも適わず、生き抜いて味方が上陸してきた時に陸側から援護しようと考えとりあえず生き抜くことに決める。戦争開始当時は日本人の全てがそうであったように、主人公も日本が負けるわけがないと考えている。時間の経過とともに、日本人捕虜が増え、それに従い戦局も耳にするが、その上で、日本は勝っていると思い込む。この凄まじいまでの思い込み。カリフォルニアの金門橋の下を通過する時に感じた敵国アメリカのゆとりに対する違和感。そして、最後の最後に富士山を見て敵国航空機を見て敗戦を知るまで日本が負けるわけがないという信念。 歴史を知るわれわれからすると滑稽に見える世界がそこにある。敵国の捕虜になって、その食事の豊かさや寛大さに、ある意味で身の程知らずな戦争をした母国の愚かしさを見るのは簡単だが、そのような戦争をせざるを得なかった当時の戦闘員の事を考えると今更ながら気の毒でならない。反対の立場で、日本軍に囚われた敵国の捕虜を別の意味で気の毒に感じる。 母国に帰り、30銭と思って買った30円の弁当に芋しか入っていない事や、車窓に向けて子供に排尿させる親などをみて、荒廃してしまった日本人に対して感じる責任感に最悪の時期を日本で過ごすことの無かった主人公の幸運(?)をみてしまう。 山本五十六の小説を読んだ後で、捕虜を主人公とした話を読んだ為、戦争の引き起こす意外な面を知ることができた。
著者の初期の短編集であるが、この作品集に描かれる「死」というものの見方、或いは肉体への機械的な見方、観察というものは、後の記録文学によく生かされていると思う。 「少女架刑」を読んで気持ち悪い小説だなと思ったが、この作者だからこそ、関東大震災だの三陸大津波、さらには高熱隧道、零式戦闘機、戦艦武蔵といった小説が書けたのだ。人間の肉体に対する冷酷なまでに醒めた見方の原点はここにあるのではなかろうか。 「星への旅」のラストにロープで引っ張られ墜落するときに、主人公は冷静に観察している。読みながら思い出したのだが、9・11のワールドトレードセンターの目撃者が、ビルの外で、ビシャビシャ、という音が聞こえ、上方を見上げると、人が喚きながら落ちてきた、とインタビューに答えるのを聞いたことがある。墜落して地面に接触するまで生きていたのだろう、とも言っていた。主人公は墜落して岩に激突する瞬間に「岩はいやなんだ、岩はいやなんだ、痛いからいやなんだ」と思い、海水にぬれた岩の感触を感じる。無機質な主人公らと同じく作者も肉体をもつ人間というものの虚しさを感じていたのではなかろうか。 いったん、肉体的人間の虚しさを追求した作者だからこそ、肉体的人間の仕出かす戦争兵器や土木の大事業といったものを醒めた目で捉える事が出来たのだろう。
未だ読んでません。読んでからまともなコメント入れます。
未だ読んでません。 読んでからまともなコメント入れます。
期間限定の特別価格でプレミアムサービスを体験
あなたのビジネスを次のレベルへ
© Copyright 2025, All Rights Reserved
冬の鷹
翻訳者として名前がある杉田玄白は実は和蘭語を殆ど知らない、という点が驚き。実際の翻訳作業をしたのは、「解体新書」に名前が載っていない前野良沢。だけど杉田玄白が翻訳者の肩書きを詐称しているわけではない。翻訳作業をチームで行っていて、「解体新書」をプロデュースしたのは、杉田玄白なんだろうな。彼のチームをまとめる努力と出版に関する注意や熱意が無ければ日の目を見なかっただろう。 それはそうと、前野良沢が何が書いてあるかさっぱりわからない「ターヘル・アナトミア」を前にして「皆目見当もつきませぬ」とつぶやき、杉田玄白が「櫓も舵もない船で大海に乗り出すようなもの」、という状態から、パズルを解くようにして一語の意味を解き、解らないところに印をつけて後から振り返る、といった作業を行い、翻訳事業を推進する。後に杉田玄白が「蘭学事始」に蘭学の黎明期を記録に残す為に記した当時の学者達の熱気が伝わってきて興味深い。当時と比べ、格段に外国語マスターの手段が発達した現代であって外国語に対する挫折を味わう私を含む現代人に活を入れる必要があろう。熱意を持って、根気良く続ければ成されぬものはない、という見本である。 それにしても、興味深いのは二人とも長生きをし、その老後は対極的であり、「解体新書」の翻訳書としての未完成度から翻訳者として名前を載せず、学者として弟子をとらなかった、ある意味で学者バカの線を行った前野良沢は、貧しくも、和蘭語の本を訳出する事に生涯をかける。対して、杉田玄白は前野良沢に対する引け目を持ちながらも、多くの家族や弟子に囲まれ、名誉と富に恵まれた老後を過ごす。作者があとがきで書いている様に、「二百年前に生きた二人の生き方が、現代に生きる人間の二典型にも思え」、どちらがいいとか悪いとか、得だとか損だとかいう問題ではなく、そのような極端な人物像が面白い。 この度、この小説に関心を持ったのは、大黒屋光太夫の帰国した後にその体験を記録した「北槎聞略」の著者である桂川甫周や、大槻玄沢を中心とした文化人の集まりというかサロンがあることを知り、当時の蘭学者というものに関心を持ったからであるが、なかなか個性的で人間味あふれる人物が多い事に驚いた。江戸時代というのは、平和で貧しく、排外的な時代ではあるのだが、そういった中で意欲的に外国の知識を吸収しようとした当時の文化人にますます興味を持った。
背中の勲章
太平洋戦争初期ドーリットル機動部隊を発見した監視艇の乗組員が捕虜になり捕虜の目から敵国米国を見、戦争の推移を記した記録文学。 当初捕虜になったことを恥じて自殺しようとするが、それも適わず、生き抜いて味方が上陸してきた時に陸側から援護しようと考えとりあえず生き抜くことに決める。戦争開始当時は日本人の全てがそうであったように、主人公も日本が負けるわけがないと考えている。時間の経過とともに、日本人捕虜が増え、それに従い戦局も耳にするが、その上で、日本は勝っていると思い込む。この凄まじいまでの思い込み。カリフォルニアの金門橋の下を通過する時に感じた敵国アメリカのゆとりに対する違和感。そして、最後の最後に富士山を見て敵国航空機を見て敗戦を知るまで日本が負けるわけがないという信念。 歴史を知るわれわれからすると滑稽に見える世界がそこにある。敵国の捕虜になって、その食事の豊かさや寛大さに、ある意味で身の程知らずな戦争をした母国の愚かしさを見るのは簡単だが、そのような戦争をせざるを得なかった当時の戦闘員の事を考えると今更ながら気の毒でならない。反対の立場で、日本軍に囚われた敵国の捕虜を別の意味で気の毒に感じる。 母国に帰り、30銭と思って買った30円の弁当に芋しか入っていない事や、車窓に向けて子供に排尿させる親などをみて、荒廃してしまった日本人に対して感じる責任感に最悪の時期を日本で過ごすことの無かった主人公の幸運(?)をみてしまう。 山本五十六の小説を読んだ後で、捕虜を主人公とした話を読んだ為、戦争の引き起こす意外な面を知ることができた。
星への旅改版
著者の初期の短編集であるが、この作品集に描かれる「死」というものの見方、或いは肉体への機械的な見方、観察というものは、後の記録文学によく生かされていると思う。 「少女架刑」を読んで気持ち悪い小説だなと思ったが、この作者だからこそ、関東大震災だの三陸大津波、さらには高熱隧道、零式戦闘機、戦艦武蔵といった小説が書けたのだ。人間の肉体に対する冷酷なまでに醒めた見方の原点はここにあるのではなかろうか。 「星への旅」のラストにロープで引っ張られ墜落するときに、主人公は冷静に観察している。読みながら思い出したのだが、9・11のワールドトレードセンターの目撃者が、ビルの外で、ビシャビシャ、という音が聞こえ、上方を見上げると、人が喚きながら落ちてきた、とインタビューに答えるのを聞いたことがある。墜落して地面に接触するまで生きていたのだろう、とも言っていた。主人公は墜落して岩に激突する瞬間に「岩はいやなんだ、岩はいやなんだ、痛いからいやなんだ」と思い、海水にぬれた岩の感触を感じる。無機質な主人公らと同じく作者も肉体をもつ人間というものの虚しさを感じていたのではなかろうか。 いったん、肉体的人間の虚しさを追求した作者だからこそ、肉体的人間の仕出かす戦争兵器や土木の大事業といったものを醒めた目で捉える事が出来たのだろう。
空海の風景(上巻)改版
未だ読んでません。読んでからまともなコメント入れます。
世に棲む日日 二
未だ読んでません。 読んでからまともなコメント入れます。