インパール作戦で上官に逆らって撤退を決断した佐藤幸徳(さとうこうとく)、その配下で1人の餓死者も出さず撤退に成功した宮崎繁三郎(みやざきしげさぶろう)。沖縄戦で大本営の方針と異なる作戦を立案・実行し、米軍を抑え込んだ八原博通(やはらひろみち)。特攻を拒み、独自の作戦で戦果を上げた芙蓉部隊の美濃部正(みのべただし)--戦争という狂気の時代に、なぜ彼らは、暗愚な上官・中央の命令に抵抗し、信念を貫くことができたのか? 太平洋戦争を俯瞰しながら、4人の指揮官の決断と行動をたどる。根拠なき精神論・同調圧力・理不尽が跋扈する現代日本への教訓の書。
レビュー(7件)
基本的に軍隊は嫌いです。現代のミャンマー、戦前の日本軍に軍隊の本性があると思います。力を持てば使いたくなる。それが人間です。 それはさておき、n氏とh氏の話をしましょう。二人とも私より30才以上年上の大正生まれです。 n氏はレイテの生き残りです。中堅の指揮官としてレイテに行く前、病気療養中の先輩k氏を見舞います。その時k氏に「アメリカは強い。まともに行っては勝ち目は無い。敵が攻めて来たら何処かへ隠れ、油断したところを狙え」と教えられます。n氏はその通り戦いました。次々と全滅していく部隊の生き残りを集め、抵抗をつづけました。敗戦を知ると「負けちゃったから仕方がない」と、部下を引き連れてアメリカ軍に投降しました。 h氏は役人として樺太で敗戦を迎ました。邦人の引き揚げを手配しました。やって来た当時のソ連に行政の引き継ぎをして最後の引き揚げ船で帰って来ました。「まさか帰してくれるとは思わなかった」と言っていました。 多分知られていないことで、二人とも故人となった今、もう少し詳しく聞いておけば良かったと思います。