もしも、ジョルジュ・バタイユを別の本から知っていなかったら、このオーシュ卿なる変名で書かれた一冊のフェチ小説は、読んだ後すぐに、聖水で清めずにはいられなかっただろう。それほどまでに、えぐい(訳者の言葉を借りれば)倒錯的性愛(愛ではなく、セックスである)に塗れた、ポルノまがいの?神小説である。
しかし、バタイユは、何も神(=西欧の正義や貞操)を辱めるためにこのような小説を書いたのではなく、文字通り、そこには鬱積したバタイユ自身の歪んだセックス観が、さも物欲しげに、あまりに乱暴に、そしてあまりに純粋(そう、少年の青さである)に吐露されているのである。訳者・生田耕作もさぞや嬉々としてこの暗黒文学に身を委ねたことであろう。
のみならず、意味的な比喩や象徴を多用し、眼球、卵、生命の神秘を巧みに交錯させ、置き換えることで、後のバタイユのエロティシズムの思想の萌芽を見いだせる。
女性器、肛門、精液・・・バタイユの変態的美意識の舌が、味蕾のザラ付きが、私の眼球を舐める!!
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