神と人間の恋はありか?

鈴木ジュリエッタさん三作目の単行本です。 アンドロイド(完結)→悪魔→神と、描くのが一番難しい素材を三作目に持ってきたんだと思います。 「悪魔」は特にキリスト教を意識しなくても描き手の数だけ「悪魔像」ありと受け入れられるので動かし易いと思うんです。『神様はじめました』は作者自ら「土地神」という設定(制約)を設けているのでかなり制限されると思います。1本目のハシラに「このまんがを描き始めてからよく 神社に行くようになりました」と書いてあるのでやはり「日本の神」を正確に描くという処で苦労はしてそうです。 第1話でいきなり女子高生の主人公を「孤立無援」にしたことで(しかも元の生活に戻れたとしてもボロアパート&ギャンブル好きの父)、もう奈々生は巴衛と鞍馬(16号掲載の第8話から登場)の中にしか自分の居場所がなくなるので、スタートから作者の「張り切り」を感じられます。 また父、前の土地神、神使など周囲のキャラクターが皆「どうしようもない」存在なのでどうしても奈々生が頑張らなくてはならず、主人公が良くも悪くも良く「動き」ます。 虎徹と鬼切の二人の鬼火童子が愉快です。 嫌な奴、嫌な奴と思い続けながらもやはり巴衛は奈々生を大事にしてますね。そして奈々生も…。 廃神社のようでいて実はきちんと参拝者が居て、土地神不在の20年間巴衛がきちんと社を守っていたと知り、「こんな廃神社 お賽銭入れる人もいないくせに!!」と言った台詞を後悔する奈々生が土地神になる事を決心して物語は動き出します。 奈々生が巴衛に神使の契約を結ばせる方法は「口付け」。 物の怪の世で快楽に溺れ、一度はあんな社など別に潰れても良いと言う巴衛が「お許し下さい」ではなく「私を助けろ!!」という命令で神使に-。 アンドロイドと人間(『カラクリオデット』)では恋の成就はなかったし、ネット友達も人間と悪魔(『悪魔とドルチェ』)もどうにかなるという事はないだろうと言ってました。 この作品の場合、奈々生が「人間ではなくなる」事もあり得るので、奈々生と「人間ではない者」が結ばれる可能性はあると思います。