「姥捨て山」がなぜあったのか?
非常に考えさせられる。
身内として
「長生きして欲しい」
公の言葉として
「不必要な延命は悪だ」
「少子高齢化を食い止めるには・・・・(黙)」
死が終わりではないなら、
死の後に再生があるなら、
それほど抵抗無く、人は死ねるかもしれない。
(現世とのお別れはさみしいが)
だが、死は怖い。
宗教的解釈はいろいろあるが、
一般的な人にとって、
「死=無」だろう。(違うかな?)
これから時代が進んでいくと、
「自分は死にたくはないが、
家族のために死なねばならない。」
こう思う人が増えるかもしれない。
死ねる場面が少ない現代。
長生きしようとあがく現代人。
そして、寝たきりになり
「早くあの世にいきたい」と
願う老人。それをさせない家族の想い。
「人は亡くなったら、極楽浄土に行くのです。」
「極楽浄土は、皆さんの心の中にあるのです。」
「だから、皆さんの心の中で故人は生き続けるのです。」
やはり、死を克服するのは、
医療ではなく、宗教がよりよいのだろうか?
死は悪なのか?
今だに、答えが出ません。
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