空海がもたらした真言宗系の密教は、唐の長安で空海が恵果から学んだモノが出発点となっている。
「密教」を突き詰めると、一人の人間が無限の空間的、時間的拡がりを有している世界、自然、宇宙と向き合うような所から始まっている哲学なのかもしれない。その他方、人とは社会の中で社会生活を営む存在でもある。中国へ伝わった「密教」は、強力な王朝が統治した帝国に在って、皇帝に近い王侯から街角の庶民に至るまで、各々に社会生活を営む人々の間での「在り方」も備えるようになって行った。唐の長安で恵果が空海に伝えたのは、「一人のため」の「密教」でもあり、「社会のため」の「密教」でもあるという二面性を備えたモノだった。
「一人のため」、「社会のため」という二面性を備えた「密教」を修めた空海であったからこそ、貴人を含む多くの人達と交わりながら街の寺で活動し、建設や教育というような社会的活動にも関与し、文化的な事績も残し、その他方で高野山に籠って自身の求道に勤しみながら弟子達を育てたという生き様を示したのかもしれない。
高僧が他界してしまうことを「入滅」と言うそうだが、空海に関しては、主に没後に時を経て弘法大師の諡が登場して以降は「入定」と言われるようになった。「入定」とは「禅定(ぜんじょう)に入る」という意味、思考や妄想から離れて精神を集中させて静かに瞑想している状況に在ることを指す。要は「弘法大師は滅せず…」ということなのだ。弘法大師は「衆生救済を目的として永遠の瞑想に…」と言われている訳だ。
そういう具合に「言われるようになった」というのが「如何いうことか?」を考えるような材料を、本書は供しているかもしれない。
そして「チベットと日本にだけ現存しているインドで起こった“密教”」というような経過は、「人と宗教と?」というようなことを考える材料ともなり得る。更に、比較的近年の「新しい宗教」と「密教」とを比べて考えようとしているような論も少し面白かった。
本当に「研究者がその研究活動で得た知識を一般向けに説く」という「新書らしい!」という感の好著であると思った。入手した本は「32刷」ということだったが、版を重ねているのも納得だ!
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