1867年頃に記録を現代語訳した一冊で、大変に興味深い。なかなかに興味尽きない感の一冊に出会えた。愉しく読了に至った。 長い道程を辿り、道中にも様々な文物に触れながら進む様や、辿り着いたフランスでの出来事や、欧州の各地を視察に出掛けての見聞等、生き生きと綴っていることに加え、万国博覧会での日本による展示への反応等を新聞記事の抄訳を引いて紹介している様子に、何か凄く引き込まれる。そして「生き生きと様子が伝わる報告」を綴る幕吏たる杉浦や渋沢の「出来る男達」という様が伺えた。 石造から木造、鉄骨を組んだ硝子張りと様々な建物を方々で見て、下水道や道路を見て、新聞印刷の印刷機や供される情報提供の力を知り、銀行や貨幣の管理や製造を見学し、船から大砲迄の諸々の機械を見て、様々な国々からの来賓が登場する催しに加わっている様子が本書からよく伝わる。 正しく「明治の初め頃の或る時、徳川昭武に随行して欧州を訪ねた方の土産話に耳を傾ける」という調子で読む事が出来る本書だ。そしてこの「土産話」こそが、明治時代以降の様々な動きの原点にもなっているのだ。 なかなかに貴重な内容が、読み易く整えられ、手軽な文庫本として登場している。大変に幸いであると思う。愉しい読書体験が出来た。
本書の著者は、その1991年以降、ウクライナ現地に滞在して活動する機会を何度も持っている。本書は1990年代初めの、「新たに興った国で、新たな通貨を設定しよう」というようなことから始まった様々な様子を振り返って綴ったという内容が中心である。 本書はその1990年代前半頃の動きを綴った部分に、2014年頃に発表した論考、2022年に発表した論考を合わせたモノとなっている。なかなかに価値在る内容に纏まっていると思う。 本書は、「ソ連の解散」で生じた混乱を潜り抜けようとして来た様子、そして著者がウクライナ滞在時に様々な地方を訪ねて得た見聞や知見が纏まっている。 本書の中にウクライナの方の言として引かれている内容でもあるが、ウクライナは「10年毎に計3度も“革命”」と言われる程度に政治が揺れ動く経過を辿っている。1994年にクラフチュク大統領が失脚、2004年に「オレンジ革命」と呼ばれる出来事でユシチェンコ大統領が登場、2014年に「マイダン革命」でヤヌコーヴィチ大統領が国外へ出てしまうということで3回だ。本書では、収録されている2014年頃と2022年に各々発表した論考を通じて、こうした“革命”がもたらしたモノが振り返られている。 1991年の「ソ連の解散」の後は、「これまでの色々は止めました」となり、「で?如何します?」とでも問えば、「如何でしょう?」と返答が在るというような状態だったのかもしれない。“ゼロ”どころか、“マイナス”のような辺りから、自国の経済活動を安定させて、諸外国との交易を出来るようにと考えることや、色々な規則を整備するようなことなど、何でもやらなければならなかった訳だ。「当り前に在る」というようなモノが「不明?」になっていて、それを何とか整理しようとする人達の様子を見詰めるような、本書の見聞記は非常に貴重だと思う。 結局、少し前からの経過、やや旧めなことも含めて、直接の関連の有無を問わずに事態の歩みを可能な範囲で学び、その上で考えることが、色々な問題に関して重要であるような気がする。ウクライナの問題は正しくそういうようにして、理解を拡げて深めるべきだ。 大変に有益な一冊に出会えたことを歓んでいる。
大きな波紋が起こった出来事の渦中で、事態の推移を御自身の来し方を交えて綴った内容である。何かドキュメンタリー風な演出の映画の作中世界に入り込むような感じで、少し夢中になって読んだ。 「報道の自由」というような事柄、気になることを自由に論じて意見表明をするというような事柄が年を追って歪められているというようにマリーナ・オフシャンニコワは感じて息苦しかった。そんな中の「戦争」だった。そこから例の「騒ぎ」だ。 ロシア人、ウクライナ人とが互いに武器を突き付け合う哀しみを慮ることが出来る故に、安寧を奪われる無念さを知るが故に、彼女は「NO WAR!」(戦争反対!)と一声上げたかったのだという想いが本書から伝わる。が、そうやって一声上げた彼女は「情報戦」の渦のど真ん中に晒されてしまうことになる。 恐らく彼女は、亡命先―それに至る経過等も、可能な範囲で本書に詳しく綴られている。―で、ロシアやウクライナの件も含めた言論活動を展開するようになるであろう。何か発表されるのなら、それらも是非拝見したい。 凄く読み応えがある本書である。これも未だ続く戦禍に関する色々なことを考える大変に重要な材料たり得る一冊だと思う。広く御薦めしたい。
題名に在る“デウス”はキリスト教の神のことで、信者が「キリシタン」という呼び方だった戦国時代や江戸時代に多用されたらしい。そういう話題が出て来る時代モノの小説だが、所謂「時代モノ」を少し突き抜けた、より普遍的な何かを感じた。 同郷である3人の若者達が、揺れ動いた時代の中で各々の路を往くこととなった。やがて3つの路は、長い年月を経て交差することとなる。そういう中で「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」というようなことが問われ、各々の路を往く3人の言動がそれを示唆し、読む側に考えさせてくれるというような感じだ。 物語の冒頭、彦九郎と善太夫は関ヶ原に在る。小西行長に仕える小姓として関ヶ原合戦の陣中に在った。他方、左平次は小西家の本拠地である肥後国の宇土城下で、戦時に護りを固めようとしている家中の人達と共に在った。 この冒頭の関ヶ原合戦の頃、3人は15歳だった。この15歳の頃から、50歳代となる島原の乱という頃迄の人生や時代が描かれるのが本作である。 小西行長に従って関ヶ原合戦の戦場を離れた彦九郎、善太夫は、滞在していた村から各々に離れて各々の歩みを始めることになる。左平次は肥後国で自身の人生を拓こうとする。 結局、彦九郎は「イルマン」と呼ばれる修道士になり、善太夫は以心崇伝の下で活動し、左平次は加藤家に仕官する。三人三様の経過、動く時代の中での生き様というのが本作の肝であると思う。 「信じている」に対して「知らない」というのも在る。或いは「信じている別な何か」を重んじようとしている場合も在ろう。そういう時に「知らない」や「別な何か」は排除されなければならないのか?心の中で各々が思う何かを、各々が大切にしていればそれはそれで善いのかもしれない。本作の作中では、こういうような問答のような内容が繰り返されていると思う。そういう様子が、キリシタンの弾圧や、島原の乱のような大事件が起こって行くという中で問われている訳だ。 最近は、より多様な価値観が各々に尊重されるべきであるとするような考え方の他方、或る観方が「正しい」というようなことになると「少し違う」を封じてしまおうとするかのような空気感を感じる場合もないではない。そんな中で、似たような生い立ちの3人が各々に全く異なる路を往く中で、「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」を問うような本作は少し沁みた。
本作の作者である黒川博行の作品は何作も読んでいる。「関西の都市を主要な舞台に展開する事件モノ」というような内容が多い。本作も一口で言えばそういう内容ということになる。発生する凶悪事件を巡って、犯行に及ぶ側と、被疑者の確保に向けて活動する警察の捜査陣との攻防というような内容になる。 本作冒頭は、大阪府箕面市の高級住宅街の邸宅で、謎の人物が邸宅に住む男を襲撃するという場面が、その襲撃する人物の目線で描かれる。邸宅で働く“お手伝い”の女性が住人の遺体を発見し、警察が事件を認知して捜査に着手する。現場に臨んで捜査に着手する府警捜査一課の捜査員、館野が主要視点人物として登場する。30歳代の館野は、邸宅の在る地域を管轄する箕面北署の暴犯係である50歳代の玉川とコンビを組んで事件の捜査に参画する。 以降、犯行に及んだ側の人物の目線で描かれる部分、捜査に臨む館野達の目線で描かれる部分が概ね交互に出て来る。好からぬ話しが在る、不正に蓄財しているような人物が次々に襲撃され、「強盗殺人事件」が連発する状況下、捜査陣の地道な活動で被疑者が次第に浮かび上がる。被疑者は狡猾で、簡単に正体が判らないように、非常に慎重に行動している。同時に捜査の攪乱を意図した行動まで取る。 本作の、捜査陣側の主役的な位置の館野と玉川が好い感じだ。真面目な館野に対し、飄々としているがなかなか鋭いベテランの玉川というコンビのバランスが好いのだ。この作者に特有なテンポの良い掛け合いで事件の謎に挑む感じで、関係者への“込み”と呼んでいる事情の聴き取りという場面も独特な味わいだ。そして「冷酷なプロ」という様子の被疑者、犯行が重ねられる中で「完璧さ」が少しずつ綻びて行く。 帯に「ラスト5頁まで結論が読めない」と在るが、誇張ではない。被疑者と捜査陣との攻防は息詰まるモノで、読むことが停められなくなってしまう。未だ新しい本なので、これ以上踏み込んだ話題は避けておこうと思う。非常に面白いので、強く御薦めしたい。
「素泊まり」ということで、「寺の離れに一寸だけ居候させて頂く」という気軽な調子で滞在出来たのが好かった。こういう感じなら「また機会が在れば…」という感じだ。 表通から少し入り込んだ感じながら、手前にコンビニや飲食店も在り、引揚げる際に高野山駅へ向かうバスの停留所も近い。静かな中で、文化財にも触れながら静かに過ごす感じが好いと思う。居室も心地よく、御手洗も在って使い易かった。浴場もなかなかに好かった。 朝の勤行にも確り参加したが興味深かった。名誉住職の講話が好い。そして凄く存在感の在る、本尊の愛染明王を間近で拝んだのは好かった。 本当に関係者の皆様に大感謝!そしてこの素敵な場所を「高野山…折角だから訪ねて1泊…」という方が在れば、ここを「御薦め」に挙げてみたい。
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航西日記 パリ万国博見聞録 現代語訳
1867年頃に記録を現代語訳した一冊で、大変に興味深い。なかなかに興味尽きない感の一冊に出会えた。愉しく読了に至った。 長い道程を辿り、道中にも様々な文物に触れながら進む様や、辿り着いたフランスでの出来事や、欧州の各地を視察に出掛けての見聞等、生き生きと綴っていることに加え、万国博覧会での日本による展示への反応等を新聞記事の抄訳を引いて紹介している様子に、何か凄く引き込まれる。そして「生き生きと様子が伝わる報告」を綴る幕吏たる杉浦や渋沢の「出来る男達」という様が伺えた。 石造から木造、鉄骨を組んだ硝子張りと様々な建物を方々で見て、下水道や道路を見て、新聞印刷の印刷機や供される情報提供の力を知り、銀行や貨幣の管理や製造を見学し、船から大砲迄の諸々の機械を見て、様々な国々からの来賓が登場する催しに加わっている様子が本書からよく伝わる。 正しく「明治の初め頃の或る時、徳川昭武に随行して欧州を訪ねた方の土産話に耳を傾ける」という調子で読む事が出来る本書だ。そしてこの「土産話」こそが、明治時代以降の様々な動きの原点にもなっているのだ。 なかなかに貴重な内容が、読み易く整えられ、手軽な文庫本として登場している。大変に幸いであると思う。愉しい読書体験が出来た。
ウクライナ 通貨誕生
本書の著者は、その1991年以降、ウクライナ現地に滞在して活動する機会を何度も持っている。本書は1990年代初めの、「新たに興った国で、新たな通貨を設定しよう」というようなことから始まった様々な様子を振り返って綴ったという内容が中心である。 本書はその1990年代前半頃の動きを綴った部分に、2014年頃に発表した論考、2022年に発表した論考を合わせたモノとなっている。なかなかに価値在る内容に纏まっていると思う。 本書は、「ソ連の解散」で生じた混乱を潜り抜けようとして来た様子、そして著者がウクライナ滞在時に様々な地方を訪ねて得た見聞や知見が纏まっている。 本書の中にウクライナの方の言として引かれている内容でもあるが、ウクライナは「10年毎に計3度も“革命”」と言われる程度に政治が揺れ動く経過を辿っている。1994年にクラフチュク大統領が失脚、2004年に「オレンジ革命」と呼ばれる出来事でユシチェンコ大統領が登場、2014年に「マイダン革命」でヤヌコーヴィチ大統領が国外へ出てしまうということで3回だ。本書では、収録されている2014年頃と2022年に各々発表した論考を通じて、こうした“革命”がもたらしたモノが振り返られている。 1991年の「ソ連の解散」の後は、「これまでの色々は止めました」となり、「で?如何します?」とでも問えば、「如何でしょう?」と返答が在るというような状態だったのかもしれない。“ゼロ”どころか、“マイナス”のような辺りから、自国の経済活動を安定させて、諸外国との交易を出来るようにと考えることや、色々な規則を整備するようなことなど、何でもやらなければならなかった訳だ。「当り前に在る」というようなモノが「不明?」になっていて、それを何とか整理しようとする人達の様子を見詰めるような、本書の見聞記は非常に貴重だと思う。 結局、少し前からの経過、やや旧めなことも含めて、直接の関連の有無を問わずに事態の歩みを可能な範囲で学び、その上で考えることが、色々な問題に関して重要であるような気がする。ウクライナの問題は正しくそういうようにして、理解を拡げて深めるべきだ。 大変に有益な一冊に出会えたことを歓んでいる。
2022年のモスクワで、反戦を訴える
大きな波紋が起こった出来事の渦中で、事態の推移を御自身の来し方を交えて綴った内容である。何かドキュメンタリー風な演出の映画の作中世界に入り込むような感じで、少し夢中になって読んだ。 「報道の自由」というような事柄、気になることを自由に論じて意見表明をするというような事柄が年を追って歪められているというようにマリーナ・オフシャンニコワは感じて息苦しかった。そんな中の「戦争」だった。そこから例の「騒ぎ」だ。 ロシア人、ウクライナ人とが互いに武器を突き付け合う哀しみを慮ることが出来る故に、安寧を奪われる無念さを知るが故に、彼女は「NO WAR!」(戦争反対!)と一声上げたかったのだという想いが本書から伝わる。が、そうやって一声上げた彼女は「情報戦」の渦のど真ん中に晒されてしまうことになる。 恐らく彼女は、亡命先―それに至る経過等も、可能な範囲で本書に詳しく綴られている。―で、ロシアやウクライナの件も含めた言論活動を展開するようになるであろう。何か発表されるのなら、それらも是非拝見したい。 凄く読み応えがある本書である。これも未だ続く戦禍に関する色々なことを考える大変に重要な材料たり得る一冊だと思う。広く御薦めしたい。
デウスの城
題名に在る“デウス”はキリスト教の神のことで、信者が「キリシタン」という呼び方だった戦国時代や江戸時代に多用されたらしい。そういう話題が出て来る時代モノの小説だが、所謂「時代モノ」を少し突き抜けた、より普遍的な何かを感じた。 同郷である3人の若者達が、揺れ動いた時代の中で各々の路を往くこととなった。やがて3つの路は、長い年月を経て交差することとなる。そういう中で「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」というようなことが問われ、各々の路を往く3人の言動がそれを示唆し、読む側に考えさせてくれるというような感じだ。 物語の冒頭、彦九郎と善太夫は関ヶ原に在る。小西行長に仕える小姓として関ヶ原合戦の陣中に在った。他方、左平次は小西家の本拠地である肥後国の宇土城下で、戦時に護りを固めようとしている家中の人達と共に在った。 この冒頭の関ヶ原合戦の頃、3人は15歳だった。この15歳の頃から、50歳代となる島原の乱という頃迄の人生や時代が描かれるのが本作である。 小西行長に従って関ヶ原合戦の戦場を離れた彦九郎、善太夫は、滞在していた村から各々に離れて各々の歩みを始めることになる。左平次は肥後国で自身の人生を拓こうとする。 結局、彦九郎は「イルマン」と呼ばれる修道士になり、善太夫は以心崇伝の下で活動し、左平次は加藤家に仕官する。三人三様の経過、動く時代の中での生き様というのが本作の肝であると思う。 「信じている」に対して「知らない」というのも在る。或いは「信じている別な何か」を重んじようとしている場合も在ろう。そういう時に「知らない」や「別な何か」は排除されなければならないのか?心の中で各々が思う何かを、各々が大切にしていればそれはそれで善いのかもしれない。本作の作中では、こういうような問答のような内容が繰り返されていると思う。そういう様子が、キリシタンの弾圧や、島原の乱のような大事件が起こって行くという中で問われている訳だ。 最近は、より多様な価値観が各々に尊重されるべきであるとするような考え方の他方、或る観方が「正しい」というようなことになると「少し違う」を封じてしまおうとするかのような空気感を感じる場合もないではない。そんな中で、似たような生い立ちの3人が各々に全く異なる路を往く中で、「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」を問うような本作は少し沁みた。
悪逆
本作の作者である黒川博行の作品は何作も読んでいる。「関西の都市を主要な舞台に展開する事件モノ」というような内容が多い。本作も一口で言えばそういう内容ということになる。発生する凶悪事件を巡って、犯行に及ぶ側と、被疑者の確保に向けて活動する警察の捜査陣との攻防というような内容になる。 本作冒頭は、大阪府箕面市の高級住宅街の邸宅で、謎の人物が邸宅に住む男を襲撃するという場面が、その襲撃する人物の目線で描かれる。邸宅で働く“お手伝い”の女性が住人の遺体を発見し、警察が事件を認知して捜査に着手する。現場に臨んで捜査に着手する府警捜査一課の捜査員、館野が主要視点人物として登場する。30歳代の館野は、邸宅の在る地域を管轄する箕面北署の暴犯係である50歳代の玉川とコンビを組んで事件の捜査に参画する。 以降、犯行に及んだ側の人物の目線で描かれる部分、捜査に臨む館野達の目線で描かれる部分が概ね交互に出て来る。好からぬ話しが在る、不正に蓄財しているような人物が次々に襲撃され、「強盗殺人事件」が連発する状況下、捜査陣の地道な活動で被疑者が次第に浮かび上がる。被疑者は狡猾で、簡単に正体が判らないように、非常に慎重に行動している。同時に捜査の攪乱を意図した行動まで取る。 本作の、捜査陣側の主役的な位置の館野と玉川が好い感じだ。真面目な館野に対し、飄々としているがなかなか鋭いベテランの玉川というコンビのバランスが好いのだ。この作者に特有なテンポの良い掛け合いで事件の謎に挑む感じで、関係者への“込み”と呼んでいる事情の聴き取りという場面も独特な味わいだ。そして「冷酷なプロ」という様子の被疑者、犯行が重ねられる中で「完璧さ」が少しずつ綻びて行く。 帯に「ラスト5頁まで結論が読めない」と在るが、誇張ではない。被疑者と捜査陣との攻防は息詰まるモノで、読むことが停められなくなってしまう。未だ新しい本なので、これ以上踏み込んだ話題は避けておこうと思う。非常に面白いので、強く御薦めしたい。
金剛三昧院
「素泊まり」ということで、「寺の離れに一寸だけ居候させて頂く」という気軽な調子で滞在出来たのが好かった。こういう感じなら「また機会が在れば…」という感じだ。 表通から少し入り込んだ感じながら、手前にコンビニや飲食店も在り、引揚げる際に高野山駅へ向かうバスの停留所も近い。静かな中で、文化財にも触れながら静かに過ごす感じが好いと思う。居室も心地よく、御手洗も在って使い易かった。浴場もなかなかに好かった。 朝の勤行にも確り参加したが興味深かった。名誉住職の講話が好い。そして凄く存在感の在る、本尊の愛染明王を間近で拝んだのは好かった。 本当に関係者の皆様に大感謝!そしてこの素敵な場所を「高野山…折角だから訪ねて1泊…」という方が在れば、ここを「御薦め」に挙げてみたい。