大きな波紋が起こった出来事の渦中で、事態の推移を御自身の来し方を交えて綴った内容である。何かドキュメンタリー風な演出の映画の作中世界に入り込むような感じで、少し夢中になって読んだ。 「報道の自由」というような事柄、気になることを自由に論じて意見表明をするというような事柄が年を追って歪められているというようにマリーナ・オフシャンニコワは感じて息苦しかった。そんな中の「戦争」だった。そこから例の「騒ぎ」だ。 ロシア人、ウクライナ人とが互いに武器を突き付け合う哀しみを慮ることが出来る故に、安寧を奪われる無念さを知るが故に、彼女は「NO WAR!」(戦争反対!)と一声上げたかったのだという想いが本書から伝わる。が、そうやって一声上げた彼女は「情報戦」の渦のど真ん中に晒されてしまうことになる。 恐らく彼女は、亡命先―それに至る経過等も、可能な範囲で本書に詳しく綴られている。―で、ロシアやウクライナの件も含めた言論活動を展開するようになるであろう。何か発表されるのなら、それらも是非拝見したい。 凄く読み応えがある本書である。これも未だ続く戦禍に関する色々なことを考える大変に重要な材料たり得る一冊だと思う。広く御薦めしたい。
題名に在る“デウス”はキリスト教の神のことで、信者が「キリシタン」という呼び方だった戦国時代や江戸時代に多用されたらしい。そういう話題が出て来る時代モノの小説だが、所謂「時代モノ」を少し突き抜けた、より普遍的な何かを感じた。 同郷である3人の若者達が、揺れ動いた時代の中で各々の路を往くこととなった。やがて3つの路は、長い年月を経て交差することとなる。そういう中で「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」というようなことが問われ、各々の路を往く3人の言動がそれを示唆し、読む側に考えさせてくれるというような感じだ。 物語の冒頭、彦九郎と善太夫は関ヶ原に在る。小西行長に仕える小姓として関ヶ原合戦の陣中に在った。他方、左平次は小西家の本拠地である肥後国の宇土城下で、戦時に護りを固めようとしている家中の人達と共に在った。 この冒頭の関ヶ原合戦の頃、3人は15歳だった。この15歳の頃から、50歳代となる島原の乱という頃迄の人生や時代が描かれるのが本作である。 小西行長に従って関ヶ原合戦の戦場を離れた彦九郎、善太夫は、滞在していた村から各々に離れて各々の歩みを始めることになる。左平次は肥後国で自身の人生を拓こうとする。 結局、彦九郎は「イルマン」と呼ばれる修道士になり、善太夫は以心崇伝の下で活動し、左平次は加藤家に仕官する。三人三様の経過、動く時代の中での生き様というのが本作の肝であると思う。 「信じている」に対して「知らない」というのも在る。或いは「信じている別な何か」を重んじようとしている場合も在ろう。そういう時に「知らない」や「別な何か」は排除されなければならないのか?心の中で各々が思う何かを、各々が大切にしていればそれはそれで善いのかもしれない。本作の作中では、こういうような問答のような内容が繰り返されていると思う。そういう様子が、キリシタンの弾圧や、島原の乱のような大事件が起こって行くという中で問われている訳だ。 最近は、より多様な価値観が各々に尊重されるべきであるとするような考え方の他方、或る観方が「正しい」というようなことになると「少し違う」を封じてしまおうとするかのような空気感を感じる場合もないではない。そんな中で、似たような生い立ちの3人が各々に全く異なる路を往く中で、「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」を問うような本作は少し沁みた。
本作の作者である黒川博行の作品は何作も読んでいる。「関西の都市を主要な舞台に展開する事件モノ」というような内容が多い。本作も一口で言えばそういう内容ということになる。発生する凶悪事件を巡って、犯行に及ぶ側と、被疑者の確保に向けて活動する警察の捜査陣との攻防というような内容になる。 本作冒頭は、大阪府箕面市の高級住宅街の邸宅で、謎の人物が邸宅に住む男を襲撃するという場面が、その襲撃する人物の目線で描かれる。邸宅で働く“お手伝い”の女性が住人の遺体を発見し、警察が事件を認知して捜査に着手する。現場に臨んで捜査に着手する府警捜査一課の捜査員、館野が主要視点人物として登場する。30歳代の館野は、邸宅の在る地域を管轄する箕面北署の暴犯係である50歳代の玉川とコンビを組んで事件の捜査に参画する。 以降、犯行に及んだ側の人物の目線で描かれる部分、捜査に臨む館野達の目線で描かれる部分が概ね交互に出て来る。好からぬ話しが在る、不正に蓄財しているような人物が次々に襲撃され、「強盗殺人事件」が連発する状況下、捜査陣の地道な活動で被疑者が次第に浮かび上がる。被疑者は狡猾で、簡単に正体が判らないように、非常に慎重に行動している。同時に捜査の攪乱を意図した行動まで取る。 本作の、捜査陣側の主役的な位置の館野と玉川が好い感じだ。真面目な館野に対し、飄々としているがなかなか鋭いベテランの玉川というコンビのバランスが好いのだ。この作者に特有なテンポの良い掛け合いで事件の謎に挑む感じで、関係者への“込み”と呼んでいる事情の聴き取りという場面も独特な味わいだ。そして「冷酷なプロ」という様子の被疑者、犯行が重ねられる中で「完璧さ」が少しずつ綻びて行く。 帯に「ラスト5頁まで結論が読めない」と在るが、誇張ではない。被疑者と捜査陣との攻防は息詰まるモノで、読むことが停められなくなってしまう。未だ新しい本なので、これ以上踏み込んだ話題は避けておこうと思う。非常に面白いので、強く御薦めしたい。
映画『カムイのうた』を観て、映画のヒロインのモデルとなった知里幸恵が遺したという本に興味を覚えた。よく知られている本だと思うが、初めて読んだ。 「銀の滴降る降る」で知られる本書の冒頭の作品は、「人間界を見詰めるフクロウに化身した神」の独白とされるそうだが、何か強い印象を残す。 喪われる自分達の言葉を遺すべく、文字どおり懸命に綴られた原稿による『神謡集』に、大変に詳しい解説が付された価値在る一冊。知られている本の最近の改訂で御薦め。
本作の作者は幾つかのシリーズ作品を発表している。シリーズ作品に、別のシリーズ作品の主要人物が登場する「相互乗入」というような作品も多く発表している作者であると思う。 この作者の代表的なシリーズの一つに、女性刑事の姫川玲子が活躍するシリーズが在る。警視庁捜査一課の殺人事件係の中で班長を務める警部補だ。熱いモノを滾らせて闘うというイメージのヒロインだと思う。犯罪被害者になってしまい、真摯に励ましてくれた女性刑事が在って、残念ながらその刑事が殉職してしまった中で警察官を志したという経過がシリーズの中で何度も語られる。恐るべき犯行に及ぶ者達を追い、同僚達が殉職してしまうという場面も乗り越えている。口の悪い、少し敵対的な同僚刑事が「奴は死神だ」と言っている。 その姫川玲子のシリーズについては、長篇も短篇集も出ていて、多くを読んでいる。過日読了の短篇集『オムニバス』の中で、次の異動に際して評価の高い女性捜査員が姫川班に配属されるという話しになっていることが示唆される。 その評価の高い女性捜査員というのが、別なシリーズのヒロインである魚住久江である。姫川玲子よりも少し年長である。本部の捜査一課で殺人事件の捜査に従事するということは、既に命を落としてしまった人達い纏わる事柄を調べることに他ならない。であれば、巡査部長昇格時に異動した所轄署の係での活動を通じて、色々な人達を援けられる可能性を追う方が善いと考えていた。その魚住久江が捜査一課へ異動し、姫川班に配置されるのが本作となる。 この作者の作品の多くは、視点人物が適宜切り替わりながら綴られる。警察の捜査員達が活躍し、事件の謎を解き明かすという物語に関しては、進行中の事件や捜査に関する部分の他に、やや異なる時間軸で事件に関るキーパーソンの回想や想いや行動が綴られる部分が入るという例も多い。本作は正しくそういう様式である。事件に関るキーパーソンの部分、姫川の部分、魚住の部分が入り交じりながら物語が進む。 大胆な推論で、憑りつかれたように駆け回って情報を集める姫川に対し、慎重に関係者の事情を聴取して行く魚住と、なかなかに面白い。そして遺体を発見した所轄署の反町が色々と重要な情報に行き当たる。様々な事実が積み上げられ、事件の謎が解き明かされて行く。 なかなかに面白い!夢中になった…
「素泊まり」ということで、「寺の離れに一寸だけ居候させて頂く」という気軽な調子で滞在出来たのが好かった。こういう感じなら「また機会が在れば…」という感じだ。 表通から少し入り込んだ感じながら、手前にコンビニや飲食店も在り、引揚げる際に高野山駅へ向かうバスの停留所も近い。静かな中で、文化財にも触れながら静かに過ごす感じが好いと思う。居室も心地よく、御手洗も在って使い易かった。浴場もなかなかに好かった。 朝の勤行にも確り参加したが興味深かった。名誉住職の講話が好い。そして凄く存在感の在る、本尊の愛染明王を間近で拝んだのは好かった。 本当に関係者の皆様に大感謝!そしてこの素敵な場所を「高野山…折角だから訪ねて1泊…」という方が在れば、ここを「御薦め」に挙げてみたい。
期間限定の特別価格でプレミアムサービスを体験
あなたのビジネスを次のレベルへ
© Copyright 2025, All Rights Reserved
2022年のモスクワで、反戦を訴える
大きな波紋が起こった出来事の渦中で、事態の推移を御自身の来し方を交えて綴った内容である。何かドキュメンタリー風な演出の映画の作中世界に入り込むような感じで、少し夢中になって読んだ。 「報道の自由」というような事柄、気になることを自由に論じて意見表明をするというような事柄が年を追って歪められているというようにマリーナ・オフシャンニコワは感じて息苦しかった。そんな中の「戦争」だった。そこから例の「騒ぎ」だ。 ロシア人、ウクライナ人とが互いに武器を突き付け合う哀しみを慮ることが出来る故に、安寧を奪われる無念さを知るが故に、彼女は「NO WAR!」(戦争反対!)と一声上げたかったのだという想いが本書から伝わる。が、そうやって一声上げた彼女は「情報戦」の渦のど真ん中に晒されてしまうことになる。 恐らく彼女は、亡命先―それに至る経過等も、可能な範囲で本書に詳しく綴られている。―で、ロシアやウクライナの件も含めた言論活動を展開するようになるであろう。何か発表されるのなら、それらも是非拝見したい。 凄く読み応えがある本書である。これも未だ続く戦禍に関する色々なことを考える大変に重要な材料たり得る一冊だと思う。広く御薦めしたい。
デウスの城
題名に在る“デウス”はキリスト教の神のことで、信者が「キリシタン」という呼び方だった戦国時代や江戸時代に多用されたらしい。そういう話題が出て来る時代モノの小説だが、所謂「時代モノ」を少し突き抜けた、より普遍的な何かを感じた。 同郷である3人の若者達が、揺れ動いた時代の中で各々の路を往くこととなった。やがて3つの路は、長い年月を経て交差することとなる。そういう中で「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」というようなことが問われ、各々の路を往く3人の言動がそれを示唆し、読む側に考えさせてくれるというような感じだ。 物語の冒頭、彦九郎と善太夫は関ヶ原に在る。小西行長に仕える小姓として関ヶ原合戦の陣中に在った。他方、左平次は小西家の本拠地である肥後国の宇土城下で、戦時に護りを固めようとしている家中の人達と共に在った。 この冒頭の関ヶ原合戦の頃、3人は15歳だった。この15歳の頃から、50歳代となる島原の乱という頃迄の人生や時代が描かれるのが本作である。 小西行長に従って関ヶ原合戦の戦場を離れた彦九郎、善太夫は、滞在していた村から各々に離れて各々の歩みを始めることになる。左平次は肥後国で自身の人生を拓こうとする。 結局、彦九郎は「イルマン」と呼ばれる修道士になり、善太夫は以心崇伝の下で活動し、左平次は加藤家に仕官する。三人三様の経過、動く時代の中での生き様というのが本作の肝であると思う。 「信じている」に対して「知らない」というのも在る。或いは「信じている別な何か」を重んじようとしている場合も在ろう。そういう時に「知らない」や「別な何か」は排除されなければならないのか?心の中で各々が思う何かを、各々が大切にしていればそれはそれで善いのかもしれない。本作の作中では、こういうような問答のような内容が繰り返されていると思う。そういう様子が、キリシタンの弾圧や、島原の乱のような大事件が起こって行くという中で問われている訳だ。 最近は、より多様な価値観が各々に尊重されるべきであるとするような考え方の他方、或る観方が「正しい」というようなことになると「少し違う」を封じてしまおうとするかのような空気感を感じる場合もないではない。そんな中で、似たような生い立ちの3人が各々に全く異なる路を往く中で、「“信じる何か”と人」、或いは「人としての在り方」を問うような本作は少し沁みた。
悪逆
本作の作者である黒川博行の作品は何作も読んでいる。「関西の都市を主要な舞台に展開する事件モノ」というような内容が多い。本作も一口で言えばそういう内容ということになる。発生する凶悪事件を巡って、犯行に及ぶ側と、被疑者の確保に向けて活動する警察の捜査陣との攻防というような内容になる。 本作冒頭は、大阪府箕面市の高級住宅街の邸宅で、謎の人物が邸宅に住む男を襲撃するという場面が、その襲撃する人物の目線で描かれる。邸宅で働く“お手伝い”の女性が住人の遺体を発見し、警察が事件を認知して捜査に着手する。現場に臨んで捜査に着手する府警捜査一課の捜査員、館野が主要視点人物として登場する。30歳代の館野は、邸宅の在る地域を管轄する箕面北署の暴犯係である50歳代の玉川とコンビを組んで事件の捜査に参画する。 以降、犯行に及んだ側の人物の目線で描かれる部分、捜査に臨む館野達の目線で描かれる部分が概ね交互に出て来る。好からぬ話しが在る、不正に蓄財しているような人物が次々に襲撃され、「強盗殺人事件」が連発する状況下、捜査陣の地道な活動で被疑者が次第に浮かび上がる。被疑者は狡猾で、簡単に正体が判らないように、非常に慎重に行動している。同時に捜査の攪乱を意図した行動まで取る。 本作の、捜査陣側の主役的な位置の館野と玉川が好い感じだ。真面目な館野に対し、飄々としているがなかなか鋭いベテランの玉川というコンビのバランスが好いのだ。この作者に特有なテンポの良い掛け合いで事件の謎に挑む感じで、関係者への“込み”と呼んでいる事情の聴き取りという場面も独特な味わいだ。そして「冷酷なプロ」という様子の被疑者、犯行が重ねられる中で「完璧さ」が少しずつ綻びて行く。 帯に「ラスト5頁まで結論が読めない」と在るが、誇張ではない。被疑者と捜査陣との攻防は息詰まるモノで、読むことが停められなくなってしまう。未だ新しい本なので、これ以上踏み込んだ話題は避けておこうと思う。非常に面白いので、強く御薦めしたい。
知里幸惠 アイヌ神謡集
映画『カムイのうた』を観て、映画のヒロインのモデルとなった知里幸恵が遺したという本に興味を覚えた。よく知られている本だと思うが、初めて読んだ。 「銀の滴降る降る」で知られる本書の冒頭の作品は、「人間界を見詰めるフクロウに化身した神」の独白とされるそうだが、何か強い印象を残す。 喪われる自分達の言葉を遺すべく、文字どおり懸命に綴られた原稿による『神謡集』に、大変に詳しい解説が付された価値在る一冊。知られている本の最近の改訂で御薦め。
マリスアングル
本作の作者は幾つかのシリーズ作品を発表している。シリーズ作品に、別のシリーズ作品の主要人物が登場する「相互乗入」というような作品も多く発表している作者であると思う。 この作者の代表的なシリーズの一つに、女性刑事の姫川玲子が活躍するシリーズが在る。警視庁捜査一課の殺人事件係の中で班長を務める警部補だ。熱いモノを滾らせて闘うというイメージのヒロインだと思う。犯罪被害者になってしまい、真摯に励ましてくれた女性刑事が在って、残念ながらその刑事が殉職してしまった中で警察官を志したという経過がシリーズの中で何度も語られる。恐るべき犯行に及ぶ者達を追い、同僚達が殉職してしまうという場面も乗り越えている。口の悪い、少し敵対的な同僚刑事が「奴は死神だ」と言っている。 その姫川玲子のシリーズについては、長篇も短篇集も出ていて、多くを読んでいる。過日読了の短篇集『オムニバス』の中で、次の異動に際して評価の高い女性捜査員が姫川班に配属されるという話しになっていることが示唆される。 その評価の高い女性捜査員というのが、別なシリーズのヒロインである魚住久江である。姫川玲子よりも少し年長である。本部の捜査一課で殺人事件の捜査に従事するということは、既に命を落としてしまった人達い纏わる事柄を調べることに他ならない。であれば、巡査部長昇格時に異動した所轄署の係での活動を通じて、色々な人達を援けられる可能性を追う方が善いと考えていた。その魚住久江が捜査一課へ異動し、姫川班に配置されるのが本作となる。 この作者の作品の多くは、視点人物が適宜切り替わりながら綴られる。警察の捜査員達が活躍し、事件の謎を解き明かすという物語に関しては、進行中の事件や捜査に関する部分の他に、やや異なる時間軸で事件に関るキーパーソンの回想や想いや行動が綴られる部分が入るという例も多い。本作は正しくそういう様式である。事件に関るキーパーソンの部分、姫川の部分、魚住の部分が入り交じりながら物語が進む。 大胆な推論で、憑りつかれたように駆け回って情報を集める姫川に対し、慎重に関係者の事情を聴取して行く魚住と、なかなかに面白い。そして遺体を発見した所轄署の反町が色々と重要な情報に行き当たる。様々な事実が積み上げられ、事件の謎が解き明かされて行く。 なかなかに面白い!夢中になった…
金剛三昧院
「素泊まり」ということで、「寺の離れに一寸だけ居候させて頂く」という気軽な調子で滞在出来たのが好かった。こういう感じなら「また機会が在れば…」という感じだ。 表通から少し入り込んだ感じながら、手前にコンビニや飲食店も在り、引揚げる際に高野山駅へ向かうバスの停留所も近い。静かな中で、文化財にも触れながら静かに過ごす感じが好いと思う。居室も心地よく、御手洗も在って使い易かった。浴場もなかなかに好かった。 朝の勤行にも確り参加したが興味深かった。名誉住職の講話が好い。そして凄く存在感の在る、本尊の愛染明王を間近で拝んだのは好かった。 本当に関係者の皆様に大感謝!そしてこの素敵な場所を「高野山…折角だから訪ねて1泊…」という方が在れば、ここを「御薦め」に挙げてみたい。