空海がそこにいます
信頼できる歴史的資料をもとに、人間としての空海の実像を浮かび上がらせています。
すると、当時の最先端の仏教の教えを、唐の都へと赴いて学びとり、我が国へと紹介され広められていった、その立役者としての空海がみえてきます。命がけで海を渡る遣唐使として一躍歴史の檜舞台に登場し、長安での劇的な人と人との出会いや、帰国後の仏教のみならず多方面での活躍ぶりなどが、鮮やかに描き出されます。小説とは違い、ドキュメンタリー的な史実にもとづく人間模様のドラマが浮かびます。
伝説化されてしまった虚像の弘法大使ではなく、血の通った人間味のある空海像が見えてきて、本著の読みどころだと思います。
著者は平安の二大巨頭として最澄と天台宗を持ち上げることも忘れませんが、実質的に本著の内容を紐解くに断然、空海の突出した偉業がどれほどのものであったか伺い知ることができます。彼の為したことに比べれば、同時代のほかの人々のそれは遠く及びません。空海あってこそ輝いた脇役だったとすら言えましょう。
空海のことが良くわかったし、ますます好きになりました。著者は真言宗の出自であり、本家薬籠中という見方もできるかも知れませんが、贔屓することなく冷徹な学者の目で公平に歴史を扱っていると思います。むしろ、他宗派に対してはこの偉大な先人に倣ってメンツを立ててやることを忘れません。しかし、読者の感想としては、いたずらにその後の日本で宗派が乱立していく大元となったのは、当時の朝廷を含めた政治体制の混乱ぶりと、複雑な宮廷や寺社との結びつきに遠因したものであり、純粋に思想的なものであったとは思えず、むしろ空海によってひとまず完成された密教の教えが、そのあまりの完成度ゆえその後のあり方に活き活きとした営みを欠いて、やがて形骸化し祈祷加持ばかりと誤解されていくことになった歴史に、皮肉なものを感じずにはおれません。
ただひとり、空海だけが超越して真理の奈辺に到達を許されました。しかし、そのギャラリーである我々日本人(の祖先たち)が追いつけず、その境地を受け継いでゆく宗派としては存続しましたが、空海自身は決して自らの教えを宗派のひとつとしての「真言宗」だとは思ってなかったでしょう。派閥化は歴史の要請だと思います。お釈迦様の教えは宗派などという世俗のあり方とは関係なしに、ひとつの真実へと収斂していくと信じていたと思われます。
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