続きが読みたくなる

唐にやってきた最澄と空海だが、そこでの行動は対照的。ひたすら部屋に籠って経典を読みふける最澄に対し、空海は契丹人の男装の少女、ゾロアスター教信者、まるで宇宙人のような風貌で表現されている三人の僧侶達(多分見ざる、聞かざる、言わざるを表現している)、と次々と人に逢ってゆく。空海の方が語学に堪能という事もあるが、全く漢語を解さないわけではないので、それぞれの資質に依るものと思われる。空海は、自分が他人にどう見られているかと言う事は無自覚、無関心であるように見える。そうかと言って思いやりがないわけではない。