ジョン・ローランズになりたい

冒頭「闇が世界にいきわたるとこうなるのだぁ!」とばかり、南アジアからの移民への差別行為の描写と問題提起がなされ、前巻(「灰色の王」)でのウェールズの美しくもノスタルジックな風景や情趣の余韻にひたっていたワタクシめは、100mほどドン引きしました。 トールキンの指輪物語の終盤、使命を終えたフロドが故郷に戻ってくると産業革命チックな風景になっていて唖然…という描写があり、読み手も浦島太郎の気分を味わうのですが、それに輪をかけた感じです。 個人的にこのシリーズ、社会問題よりも人間自身に着目し、またあからさまな問題提起や主張をせず、むしろ物語の底流にとうとうと流れるものを読者自身に感じさせるor読み取らせるというスタンスが好きだったので、この最終巻は評価が低めです。 冒頭を除いたラストにいたるまでの展開は見事です。 どの登場人物の選択も納得することができます。 「光(古老)」も「闇」も、人として生まれながらも、目覚めれば人間とは全く異なる存在となります。いうなれば、人間に托卵されたカッコウのような存在なのでしょうか。世界で何かが、あるいは時が満ちたとき、人を越えた存在として本人の意思とは関係なく覚醒してしまう。また、覚醒した瞬間、古老であるが故、人であることへの未練も慕情も切り捨ててしまわなければならないことを悟ってしまう。一種、諦念にも似た表情を思わせるウィルには、なんとも胸が締めつけられます。 というわけで、好みでいえばもっとも若い古老としてのウィル目覚めを描いた「光の六つのしるし」もかなり良いです。 願わくば力を持ち時さえ凌駕する古老たちでもなく、特殊な出自を持つブラァンでもなく、ただの人、されどまぎれもなく自意識を持った個であることを示したジョン・ローランズになりたいです。