一部ネタバレあり

じんわりと胸に心に染み入る作品だった。 本作は推理小説の体をとりながら、おそらく作者が描きだろうとしているのは、人と人に潜むミステリーであろう。両者は同一のように思えて、その実、似て非なるものにもなりうる。アン・クリーヴスはシェトランド四重奏と呼ばれるミステリー連作を幕ひくにあたり「殺人事件を追う刑事ものなので、毎回、必ず人が死ぬ。このまま続けたら、そのうち島中が殺人者と被害者だらけになってしまう」といった内容の発言を残している。物語の主題を殺人という「非日常」におけばそうなるだろう。非日常はめったに起こらないから非日常なのである。一方、本作は事件とはいえ市井の人々の間での犯罪をとりあげ、その犯罪に至るまでの経緯や裏側を紐解くことにミステリーとして焦点を当てる。 本作で主人公のミステリーがくっきりと浮かび上がった。それは「過去に囚われたひと」だ。主人公の離婚した妻はその結婚にすべてを捧げようとした。しかし主人公の中には、しかも心の大半は、すでに妻や家庭以外の存在に占められていた。それは過去からの亡霊であり、ましてすでにこの世にあるかすら定かでない存在(弟)であるため、妻にはどうあがいても歯が立たない。本作では、長居年月をへて主人公の中にしっかりと根を張りずっしりと沈んで溶け込んで主人公を捕らえていた「過去」が、娘であるエヴァリンドとの交流等を通して、主人公の前にくっきりと浮かび上がった。 人はいつか過去と向き合い、過去と決別する時がくる。マリアが象徴的だが、しっかりと向き合うことなくしては決別できない。主人公にもそのときが近づいているようだ。最後は某SFの中のフレーズの意訳でしめたい。 「わたしたちに自分の負い目を赦すことを赦してください」