「寺」というモノが多々在る。それらは各宗派の流れを汲んでいるのだが、数在る宗派の寺の中、親鸞を祖とする浄土真宗が最も多く、次いで道元を祖とする曹洞宗が多いのだそうだ。その親鸞が、そして道元が説こうとしたことに着目して「日本の仏教が目指した境地?」を考えてみようとしているのが本書であると思う。 『親鸞と道元』という題名だが、「対照的な両者」を内包する日本の仏教を考えるということで筆者が着想を得て、そして登場したという題であるようだ。 「救い」を求め、「念仏」を専らとし、「布教」に力を注ぐこととなったのが親鸞の浄土真宗だ。 「悟り」を求め、「座禅」を専らとし、「求道」を説き続けることとなったのが道元の曹洞宗だ。 「念仏」と「座禅」とということではは、「他力」で救いをもとめるのか、「自力」で悟りに至ろうとするのかというような、「対極的」な在り方のように思える。「本当に??」というような疑問や、「何故、こういう一見して“対極”なモノがとりあえず“同じ仏教”に内包?」というようなことが本書の出発点だと思った。 或いは「筆者御自身の深い考察の経過」を直接的に反映したような叙述なのかもしれない本書である。進んだ方角が違う仏教の担い手達であったが、実は或る時点で回り逢っているのかもしれない。そんなことが示唆されている。 正直「宗教」とでも聞けば「何やら変??」と思わないでもない。所謂“カルト”の存在が在って、その妙な影響で、そういう程度に考えてしまうような面は在ると思う。が、或る時期に何処かの方が唱えた哲学のような問題意識が何世代にも亘って受継がれ、何世代目かの傑出した誰かが導いた「解答案」が更に後代へ引き継がれるというのが「宗教」というモノの実相なのかもしれない。 「念仏」と「座禅」ということになれば、「他力」と「自力」という「対極?」に視えるのかもしれない。が、これも“仏教”と呼ばれるモノが現れ、色々な人達が各々に考えて「至った解答案」の幾つかの例である訳だ。 なかなかに興味深く、そして愉しく読了した一冊で、広く御薦めしたい。