日本史の中核
信長を現す言葉で一番多く使われている言葉は
何と言っても「覇王」でしょう
実際は本当に全国制覇を達成したわけではありませんが
その基盤を秀吉が引き継ぎ、事実上成就させ、さらにそれを打った
家康が後の日本を作ったわけです
やはり、信長の奇跡的な活躍がなかったら、
今の日本はこんな形をしなかったわけですので、
覇王と呼ばれておかしくない人物だといえます
しかし61勝18敗6分け……
これが、信長の戦の生涯成績らしいです
勝率77%……
この数字が表すものは置いといて、
この時代の敗戦の将は、、
正確にはこの時代より少し前の敗戦の将は9割以上の確率で
自害して責任を自分の命で取ってますから、
勝率以前に、1回でも負けたら死んでることの方が多かったわけです
信長が1番新しかったのは、負けても自害しなかったことでしょうww
それと、ドラマや映画、ゲームも?豪快な性格で描かれることの方が
多いんですけ、
信長は兎に角用意周到な性格で、戦となれば、敵方より多い兵を集めないと
出立しなかったことは割と有名です
なので、もしかしたら小心者?だったかもしれない信長が、
まだ30代だった時に決断した2つの勇気
この2つが信長の奇跡的な快進撃の柱となりました
1つは柴田勝家を許し、取り込んだこと
2つ目は桶狭間での奇襲です
柴田勝家は元々は信勝に仕えていて、信長とは敵対していました
もし小心者だというのならば、1度刃を向けた相手を生かしておけば
危険だと考えるでしょう
しかし信長は柴田勝家を許し、養護し、大きな権利権力を与えます
柴田勝家はその恩に報い、織田家最強の家臣として信長の快進撃を
支え続けました
そして桶狭間
極論から言えば籠城か奇襲か、どっちかしかなかったとも言えますが
1560年、どっちに逃げようと敵だらけだったわけで
その勇気ある決断によって2万5千を2千で破るという大金星を上げます
しかも相手は当時最強の武将だった今川義元
正攻法で戦えば、おそらく当時は打てなかった相手です
ここから信長の流れ、快進撃が始まります
実は、今川義元を打ったにも拘わらず、他の武将は直ぐに信長を
打とうとはしませんでした
なめられてたからです
まだまだ織田なぞ敵に非ず、と
その無駄な余裕が結果的に信長が整う時間を与えてしまい、後々自分の首を絞めるとは
勿論お家の事情もありましょうが
ロマンで
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