今までの歴史学者や在野の研究者は、ここまで多岐にわたる国内外の資料や地域伝承、寺社の伝承、和歌、中国語音の違い、音韻の転訛、火山学、地質学、発掘資料、地域の人への聞き取り調査までを集め、一語一音一句にまで渡って綿密に調査分析した人はいただろうか?多くの人は、表面をかじった程度で説に反映している。 それだけに、福永氏の邪馬台国田川説は、森も見て木も見ているだけに、説得力がある。 福岡県、大分県、佐賀県は、どういうわけか発掘に消極的であるばかりでなく、時には消滅させようとするため(城野遺跡など)、福永氏の説を決定付ける物証はなかなか得られていないのが残念でならない。