コミンテルンと対峙した男

昭和四年に陸軍憲兵上等兵を拝命した筆者は、赴任先の山形県で実績を積んでいたところ、満州派遣志願者を募りに来た将校が語る、『在ハルピン米国総領事の暗号表奪取』 秘話に胸を躍らせます。 晴れて満州の土を踏んだ筆者は、在満三年にして赴任した首都新京にて、今ひとつ振るわない対ソ防諜において居並ぶ諸先輩に臆さず “活きのいい” 持論を開陳し、その意気を買われて新編成の防諜班の班長に任ぜられます。 以後、ソ連のKGBに訓練され潜伏しているスパイや無線通信員を調査し、一件ごとに丹念な証拠集めの末に隠密検挙を重ねていきます。一方では持ち前の義侠心を発揮して彼らを日本側へ寝返らせ、逆スパイとして工作に活用します。更にはモスクワとそれらスパイを繋ぐ “交通員” に意中の人間を潜り込ませ、ぶ厚い秘密のヴェールに閉ざされていたソ連の内情を探らせるなど、新たな情報を入手していきます。 中でも白眉なのは、昭和三年の三・一五事件で検挙され、転向を偽って満州へ逃れた卑劣な日本共産党の残党の暗躍を壊滅させた逸話に尽きます。 罪のレベルで言えばあからさまに 『国事犯』 ですが、検挙当時の筆者はそれほど大それた悪事を働いていたとは露ほども疑わず、首魁を始め被告たちに対して従前からの温情で接し、遂には連中の心服を勝ち取って真実の告白を導き出したのでした。 在満共産主義者どもの天をも恐れぬ壮大な国家転覆計画を目の当たりにし、筆者は大日本帝国の行く末を危ぶみながら、この驚異の事実を上官に報告します。報告はさらに憲兵司令部の上層部まで達しますが、帝国陸軍首脳部の沽券と国家の指導方針にも波及を免れないこの案件は、以降の取り調べを停止されてしまったそうです。 その他も、諜報・防諜ばかりではなく筆者が通常の憲兵任務に就いている際の被疑者たちへの接し方などにも触れられ、憲兵が威圧や権威のみで務まる仕事ではなく、やはり人と人が対しているからには最終的に人間性と尊厳の重視こそが解決と再犯の予防に繋がる旨が綴られています。 戦前の防諜部隊の活躍と弱点を理解するのみならず、現在他の先進国に比肩できる情報組織を持たない戦後日本の在り方について、多くの示唆に富んだ本です。読んでおいて損はありません。