居眠りと偶然からの悲劇

原作は本家シャ-ロック・シリーズ物の中でも有名であるが、自分は読んだことはない。見て真っ先に思ったことは、ネタバレになってしまうかもしれないが、物語の発端(核となる)部分が偶然によっていることだ。即ち赤ん坊を病院に運ぶ途中に、偶然公園に同じ位の赤ん坊がおり、しかも親が居眠りをしている。そこで日中その赤ん坊を連れ去っても誰も何も言わない。有り得るか。これは原作もそうなっているのだろうか。 更に連れ去られた子供を発見するのも偶然だ。大掛かりに世間に呼びかけても反応がなく(前記の白昼の連れ去りシーンを見た人はいなかったのだろうか?)、数十年後、当たり前だが赤ん坊の姿から成人し、全く容姿・体形が違うのに、偶然洗面所で見かけた女性を、目(瞳?)が一緒だからと自分の子供と決めつけ、DNA鑑定をし、本当に子供だと判明する。本当に目で分かるのか、強引すぎだろう。これも原作がそうなっているのなら仕方がないが。 しかし、物語の悲劇はこの偶然による。ここでこの親子が出会わなければ、この後自分たちも含めて何人も死んでゆく事態(殺人劇も含めて)にはならなかった訳だ。ある偶然の出会いから、いろいろなドラマが展開してゆくことは、映画・小説等の定番と言えば言えるが、本当にこの映画の場合、最初の子供の誘拐はともかく、その後の偶然の発見がなければ何もなく、夫々の現状の日常が続いていたはずだ(それがその個人にとって幸か不幸かは置いといて)。これを言ったら、この映画の全否定か。