アモス・エロンの「エルサレム」との違い

親本が刊行される少し前に訳書が刊行された「エルサレム」の著者のアモス・エロンとは友人とあるがエロンの本はイスラエルをどこか突き放しているのに比べると「ビルマ・ロード」を「見下ろすアラブ人村すべてが、「ハガナー」部隊により爆破されていたからである」(418頁)とあっさり書いたようにイスラエル寄りに感じる。ここはイスラエルに住んで「ハ・アーレツ」の記者だったエロンとイギリス在住のギルバートとの違いだろうか?エロンの本には出て来ないがギルバートが彼と会った時は第三次中東戦争でイスラエルが占領した東エルサレムに住んでいたとあるが例え善意で接していてもアラブ人からすれば「イスラエル軍と一緒にやって来たユダヤ人」に過ぎなかったのだろうか?この本が親本が刊行された草思社ではなく、ちくま学芸文庫から刊行されたのは、この本で使われている「おおエルサレム!」のようにハマースの10・7テロとイスラエル軍による「ジェノサイド」故だろうか? アラブ人に殺されたユダヤ人の名前は一人一人書く割に第一次中東戦争で休戦協定が結ばれたロードス島はヒルバーグの「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」にあるように「柏葉付騎士十字章に輝く英雄」陸軍中将ウルリヒ・クレーマンが師団長だった執行猶予部隊でもあるロードス突撃師団によってアウシュヴィッツへ送られた事を触れないのは解せない。 361頁の「エルサレム回廊から新たな村落を除去するという新方針の唯一の例外はアブ・ゴーシュだった。この村の住民たちは一度も道路を襲ったことがなく、またユダヤ人に好意的だった」とあるが草思社版から付いている石田友雄の解説には留学時に暮らしていた「キブツの人々はアブ・ゴーシュのアラブ人と、独立戦争当時からずっと友好関係を保っているが、決して気を許したことはないとも言っていた」(616頁)とある。ギルバートがアブ・ゴーシュの近辺に暮らしているユダヤ人の持つ意識を知らないのか、知っていても無視しているのか?もっともイスラエルに残ったアラブ人にしてもイスラエル当局からは敵対視されて周囲のアラブ諸国からは「裏切り者」と見なされていたので微妙な立ち位置だが。