日本軍による軍律法廷を連合国側が認めた例として軍装を着用しないで日本軍の捕虜になったので開廷された例が挙げられている。この本で取り上げられている件は岡田資中将も絡むが陸軍の軍律によって捕虜になったB-29の搭乗員が戦争犯罪として裁かれたが海軍の捕虜になれば関係ないので、そのまま俘虜収容所送りになったのは日本軍らしい例だ。日本がジュネーヴ条約を準用すると表明して国際赤十字の視察を受け入れていたが軍事目標ではなく民間人居住地に対する無差別爆撃の責任を捕虜に対する軍律法廷となったが、軍律法廷なしで死刑にしたり機銃掃射した艦載機や戦闘機の搭乗員が日本側の捕虜になってリンチされたりした場合の戦犯裁判はもっと重いのだろうか。 これが「事変」として扱われて日本は最後まで宣戦布告をしないまま、中国側も米英開戦と同時に対日宣戦布告した日中戦争や日本はペタンの帰国までヴィシー政権を承認していて自由フランスを認めていない仏印処理、イタリア休戦後にバトリオ政権側についたイタリア人に対する扱いなどは場合はまた違うだろう。フランスによる戦犯裁判は結構苛烈だったそうだ。
親本が刊行される少し前に訳書が刊行された「エルサレム」の著者のアモス・エロンとは友人とあるがエロンの本はイスラエルをどこか突き放しているのに比べると「ビルマ・ロード」を「見下ろすアラブ人村すべてが、「ハガナー」部隊により爆破されていたからである」(418頁)とあっさり書いたようにイスラエル寄りに感じる。ここはイスラエルに住んで「ハ・アーレツ」の記者だったエロンとイギリス在住のギルバートとの違いだろうか?エロンの本には出て来ないがギルバートが彼と会った時は第三次中東戦争でイスラエルが占領した東エルサレムに住んでいたとあるが例え善意で接していてもアラブ人からすれば「イスラエル軍と一緒にやって来たユダヤ人」に過ぎなかったのだろうか?この本が親本が刊行された草思社ではなく、ちくま学芸文庫から刊行されたのは、この本で使われている「おおエルサレム!」のようにハマースの10・7テロとイスラエル軍による「ジェノサイド」故だろうか? アラブ人に殺されたユダヤ人の名前は一人一人書く割に第一次中東戦争で休戦協定が結ばれたロードス島はヒルバーグの「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」にあるように「柏葉付騎士十字章に輝く英雄」陸軍中将ウルリヒ・クレーマンが師団長だった執行猶予部隊でもあるロードス突撃師団によってアウシュヴィッツへ送られた事を触れないのは解せない。 361頁の「エルサレム回廊から新たな村落を除去するという新方針の唯一の例外はアブ・ゴーシュだった。この村の住民たちは一度も道路を襲ったことがなく、またユダヤ人に好意的だった」とあるが草思社版から付いている石田友雄の解説には留学時に暮らしていた「キブツの人々はアブ・ゴーシュのアラブ人と、独立戦争当時からずっと友好関係を保っているが、決して気を許したことはないとも言っていた」(616頁)とある。ギルバートがアブ・ゴーシュの近辺に暮らしているユダヤ人の持つ意識を知らないのか、知っていても無視しているのか?もっともイスラエルに残ったアラブ人にしてもイスラエル当局からは敵対視されて周囲のアラブ諸国からは「裏切り者」と見なされていたので微妙な立ち位置だが。
金天海が昭和20年に府中の予防拘置所から釈放された時の写真をはじめとして再建された日本共産党の中央委員やレッドパージで公職追放となった中央委員として名前が出て来る程度の存在となった理由は言うまでもないが著者は北朝鮮には彼を埋葬した幹部用の墓がない事を記すだけだ。北朝鮮で粛清されたからこそ朝連総聯は言うに及ばず日本共産党も北朝鮮を暗に陽に批判はしても六全協までの党員だった人達の存在を触れる事をしなくなったので「朝鮮人の党員や共青員がいた」という抽象的な存在と化して徐々に忘れられていったのではないか?「忘れられた革命家」とあるが彼の運命に関しては日本も韓国も関係ない。戦前の日本でコップで活動していた金龍濟が転向して「親日派」になったが光復後は左翼陣営に復帰もせず入北もしなかった上に朝鮮戦争で人民軍に銃殺されたり拉北されなかったりしたので韓国で「親日派」と批判されながらも天寿を全うし得たのが皮肉な感じすらしてくる。
FRIDAYが珍しく刊行した佳子内親王の写真集。夫がカミラ現王妃と縁が切れなかったと不倫した末に離婚したクロムウェルの時代の反動のような時代の君主であるチャールズ2世の庶子の子孫だと連想させるダイアナ・スペンサーのような人物を副題に使うのは、どうだろう?FRIDAY本誌で掲載されたものも使われている。かつて講談社は「皇后の近代」のような小山いと子の「皇后さま」を無批判で使った上に初歩的な混同をしている本や自称「皇室ジャーナリスト」河原敏明がある事ない事思い込みで書き散らす本を何冊も出していたが「金儲けなら何でも出す」の宝島社が平成5年に後に「トンデモ本の世界」となる連載と一緒に「宝島30」で掲載して単行本化した「皇室の危機」なる真偽不明の怪文書がなかった事にした解説を付けて量産する写真集で感じる気分の悪さは感じない。しかし姉宮の同類の本は見かけなかったが。
Twitterでの投稿をきっかけにしてPHP文庫から「赤と青のガウン」が刊行されて紙の本が売れない時代にベストセラーとなると続々と彬子女王の著書が判型を変えて再版されるものだ。次は色々な形で発表されたエッセイでもまとめた本か、それともオリジナルか。この本は箱入りの2冊の本を合本にした本だが「加筆修正」しているとある。 同じ小学館文庫でも20年近く前に刊行された「梨本宮伊都子妃の日記」の初刷に比べてツルツルした紙を使っている。 「文藝春秋」のインタビューで妹宮の瑤子女王が高円宮家の従妹とは「皇族という立場は同じですが、育ってきた環境も違いますから、食事をしたり、一緒に遊びに行ったりということはありません。行事以外でお会いすることはないですね」と質問に答えている。ボンボニエールの記述の中で「これは従妹が生まれたとき」とあるので高円宮家の従妹の誰かのものだろうか?それとも裏千家の従妹?
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軍律法廷
日本軍による軍律法廷を連合国側が認めた例として軍装を着用しないで日本軍の捕虜になったので開廷された例が挙げられている。この本で取り上げられている件は岡田資中将も絡むが陸軍の軍律によって捕虜になったB-29の搭乗員が戦争犯罪として裁かれたが海軍の捕虜になれば関係ないので、そのまま俘虜収容所送りになったのは日本軍らしい例だ。日本がジュネーヴ条約を準用すると表明して国際赤十字の視察を受け入れていたが軍事目標ではなく民間人居住地に対する無差別爆撃の責任を捕虜に対する軍律法廷となったが、軍律法廷なしで死刑にしたり機銃掃射した艦載機や戦闘機の搭乗員が日本側の捕虜になってリンチされたりした場合の戦犯裁判はもっと重いのだろうか。 これが「事変」として扱われて日本は最後まで宣戦布告をしないまま、中国側も米英開戦と同時に対日宣戦布告した日中戦争や日本はペタンの帰国までヴィシー政権を承認していて自由フランスを認めていない仏印処理、イタリア休戦後にバトリオ政権側についたイタリア人に対する扱いなどは場合はまた違うだろう。フランスによる戦犯裁判は結構苛烈だったそうだ。
エルサレムの20世紀
親本が刊行される少し前に訳書が刊行された「エルサレム」の著者のアモス・エロンとは友人とあるがエロンの本はイスラエルをどこか突き放しているのに比べると「ビルマ・ロード」を「見下ろすアラブ人村すべてが、「ハガナー」部隊により爆破されていたからである」(418頁)とあっさり書いたようにイスラエル寄りに感じる。ここはイスラエルに住んで「ハ・アーレツ」の記者だったエロンとイギリス在住のギルバートとの違いだろうか?エロンの本には出て来ないがギルバートが彼と会った時は第三次中東戦争でイスラエルが占領した東エルサレムに住んでいたとあるが例え善意で接していてもアラブ人からすれば「イスラエル軍と一緒にやって来たユダヤ人」に過ぎなかったのだろうか?この本が親本が刊行された草思社ではなく、ちくま学芸文庫から刊行されたのは、この本で使われている「おおエルサレム!」のようにハマースの10・7テロとイスラエル軍による「ジェノサイド」故だろうか? アラブ人に殺されたユダヤ人の名前は一人一人書く割に第一次中東戦争で休戦協定が結ばれたロードス島はヒルバーグの「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」にあるように「柏葉付騎士十字章に輝く英雄」陸軍中将ウルリヒ・クレーマンが師団長だった執行猶予部隊でもあるロードス突撃師団によってアウシュヴィッツへ送られた事を触れないのは解せない。 361頁の「エルサレム回廊から新たな村落を除去するという新方針の唯一の例外はアブ・ゴーシュだった。この村の住民たちは一度も道路を襲ったことがなく、またユダヤ人に好意的だった」とあるが草思社版から付いている石田友雄の解説には留学時に暮らしていた「キブツの人々はアブ・ゴーシュのアラブ人と、独立戦争当時からずっと友好関係を保っているが、決して気を許したことはないとも言っていた」(616頁)とある。ギルバートがアブ・ゴーシュの近辺に暮らしているユダヤ人の持つ意識を知らないのか、知っていても無視しているのか?もっともイスラエルに残ったアラブ人にしてもイスラエル当局からは敵対視されて周囲のアラブ諸国からは「裏切り者」と見なされていたので微妙な立ち位置だが。
金天海
金天海が昭和20年に府中の予防拘置所から釈放された時の写真をはじめとして再建された日本共産党の中央委員やレッドパージで公職追放となった中央委員として名前が出て来る程度の存在となった理由は言うまでもないが著者は北朝鮮には彼を埋葬した幹部用の墓がない事を記すだけだ。北朝鮮で粛清されたからこそ朝連総聯は言うに及ばず日本共産党も北朝鮮を暗に陽に批判はしても六全協までの党員だった人達の存在を触れる事をしなくなったので「朝鮮人の党員や共青員がいた」という抽象的な存在と化して徐々に忘れられていったのではないか?「忘れられた革命家」とあるが彼の運命に関しては日本も韓国も関係ない。戦前の日本でコップで活動していた金龍濟が転向して「親日派」になったが光復後は左翼陣営に復帰もせず入北もしなかった上に朝鮮戦争で人民軍に銃殺されたり拉北されなかったりしたので韓国で「親日派」と批判されながらも天寿を全うし得たのが皮肉な感じすらしてくる。
完全永久保存版 「東洋のダイアナ」に成長するまでの全記録 佳子さま 凛々しきプリンセス「30年のあゆみ」
FRIDAYが珍しく刊行した佳子内親王の写真集。夫がカミラ現王妃と縁が切れなかったと不倫した末に離婚したクロムウェルの時代の反動のような時代の君主であるチャールズ2世の庶子の子孫だと連想させるダイアナ・スペンサーのような人物を副題に使うのは、どうだろう?FRIDAY本誌で掲載されたものも使われている。かつて講談社は「皇后の近代」のような小山いと子の「皇后さま」を無批判で使った上に初歩的な混同をしている本や自称「皇室ジャーナリスト」河原敏明がある事ない事思い込みで書き散らす本を何冊も出していたが「金儲けなら何でも出す」の宝島社が平成5年に後に「トンデモ本の世界」となる連載と一緒に「宝島30」で掲載して単行本化した「皇室の危機」なる真偽不明の怪文書がなかった事にした解説を付けて量産する写真集で感じる気分の悪さは感じない。しかし姉宮の同類の本は見かけなかったが。
日本美のこころ
Twitterでの投稿をきっかけにしてPHP文庫から「赤と青のガウン」が刊行されて紙の本が売れない時代にベストセラーとなると続々と彬子女王の著書が判型を変えて再版されるものだ。次は色々な形で発表されたエッセイでもまとめた本か、それともオリジナルか。この本は箱入りの2冊の本を合本にした本だが「加筆修正」しているとある。 同じ小学館文庫でも20年近く前に刊行された「梨本宮伊都子妃の日記」の初刷に比べてツルツルした紙を使っている。 「文藝春秋」のインタビューで妹宮の瑤子女王が高円宮家の従妹とは「皇族という立場は同じですが、育ってきた環境も違いますから、食事をしたり、一緒に遊びに行ったりということはありません。行事以外でお会いすることはないですね」と質問に答えている。ボンボニエールの記述の中で「これは従妹が生まれたとき」とあるので高円宮家の従妹の誰かのものだろうか?それとも裏千家の従妹?