全ての人に読んで頂きたい本のひとつです。 著者は東京大学を卒業してTBSに勤務した後、九州大学医学部に入り直し、精神科のクリニックを開業する一方で、既に多くの著作を持つ方です。 御自身の経験や同窓生を含む複数の医師達から取材した事実を踏まえつつ創作されたのだろうと推察しますが、立場と視点の異なる10人の医師による10の短編と云う形を取った作品集です。 10人の医師達の10人なりの人生、病気、医療、患者とその家族、同僚、関係者に対する思いや悩みが描かれており、どの短編も涙無くしては読み終わらないのですが、決して安っぽい「お涙頂戴」にならないのは、1つ1つの作品の設定に無理が無く、描写に強いリアリティがあり、強いメッセージが伝わって来るからだと思います。 全ての医師がここに描かれている様な良心を持った人物であると云う訳ではないかもしれませんが、恐らくは多くの医師達がここに描かれた様な思いを持って医療に従事されているのだと信じたいですね。 患者の立場に居る我々も、自分が診て貰っている医師達がこうした思いで日々の治療に当たっているのだと云う事を知っておくのは意味のあることだと思います。 余談ながら、大岡さんや城山さんの戦記物をほぼ全て読んでいる僕ですが、父島の話は、この本で初めて知りました。その点からも、この作品が綿密な取材に基づいて書かれた労作である事が窺い知れました。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」を完読してしまい、次の巻はもう無いので、情報を掘り下げる段階に入り、読んでみました。 カエサルは演説に長け、豊かな文才を持っていたと云う事になっている訳ですが、残念ながら、この翻訳を読んでいても、それは伝わってきません。 それはさておき、ガリア戦役当時のガリア人とガリア社会が、ローマ人の価値観、ローマ人の利害と云う視点から描かれている為、当時のローマと非ローマの違いがよく分かる著作であるのは確かです。 ローマと云う国家の当時の様子や共和制ローマの政治風土がよく分かるので、ローマ好きなら必読なのではないでしょうか?
遠野は過去に3回訪ねた事があり、中でも、2011年9月には、僅か半日だけだったけれど、友人の友人である地元在住の方の案内付きで、荒神神社、卯子酉様、愛宕神社(卯子酉様の近くの物)、五百羅漢、続石、伝承園、カッパ淵等を訪ねた。 と云う経験をした上で本書を読んだのだが、科学だの教育だのと云ったものと無縁だった古の人々の、健気であったり、敬虔であったり、素朴であったり、ちょっと残酷だったり、少々狡かったりする、要するに人間の温もりが感じられる話が満載であり、楽しめたし、考えさせられた。 文章が難しかったと云うコメントを数人の方達が書いているが、成る程、小中学生には読み難いだろうけれど、高校生以上なら読める程度のもの。 2011年は、地震と津波と原発事故で東北地方が注目を集めた年だったが、ジパングの名が生まれた発端となった気仙地区と平泉を繋ぐ交通の要衝であった遠野に、古くから人の営みがあった事を知るのも良いのではないだろうか?
「阿房列車(あほうれっしゃ)」を「あぼうれっしゃ」だと思っていた僕は、かなりなアホウに違いない。 黒澤明監督の晩年の名作、「まあだだよ」に描かれた内田百間(正しくは「門構え」の中に「月」だが、正しい文字は、「機種依存文字」であるとして、アップロードを拒否される。)がものした、代表作の一つである。 作品は、還暦を過ぎた著者がヒマラヤ山系氏をお供に、「何の用事もない場所に列車で出掛けて、酒を飲んで帰ってくる」と云う事を主たる目的として旅に出た、その紀行文(?)だ。 ヒマラヤ山系氏とは、森まゆみ氏の後書きによれば、国鉄の雑誌編集者であった人で、著者のファンであったことから、原稿の依頼に行った事を切っ掛けとして、お互いに親しくなったものらしい。 著者は、概ね貶し、たまに持ち上げて書いているが、口数少なく、にも拘わらず、結構社交家で、多分かなり真面目で、しかし、大の左党であった様子が、著者一流のすっとぼけた描写で描かれている。 著者は、観光地巡り、名所旧跡訪問なんぞには、目もくれない。原則として、事前にシッカリとリサーチした路線情報に基づき、ひたすら鉄道に乗り、その日の目的地に着くと旅館に籠もって酒を飲み、翌日は昼まで寝る。朝食は、日頃の習慣を守り、一切食べない。そして、又、車上の人となる。 鉄道に関する知識と情熱は、相当の物である。 ここに描かれた著者の願望は、「頑張らない」、「力まない」、「ムキにならない」、「好きな事以外はしない」なのだけれど、なかなかそうも行かず、見送りや出迎えを受け、取材を受け、雨に降られ、女中の頑なさに辟易させられたりしている。 が、性懲りもなく次の阿房列車を仕立てるところをみると、やはり、相当に気に入っていたらしい。 著者を怠け者と見るか、拘りと思索の人と見るかは、読者次第。 余りその様な事は書いていないけれど、戦争で疲弊しきった国土がどの様に復興しつつあるのかも気になっての旅だったのかもしれない。 借金の大家であった筆者は、勿論、一連の阿房列車の旅にも借金して出掛けるが、さて、それは、阿房列車の原稿料で返せたのかしらん? 因みに、このシリーズに触発され、後に、阿川弘之氏が「南蛮阿房列車」を書き、沢木耕太郎氏が「深夜特急」を書いたと云う理解で良いのかな?
タイトルは「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」だが、ビジネスマンでなくとも大いに参考になる、普遍的な名著だと思う。 大学の選択に迷う息子に宛てた1通目から、立派に成長して社長の座を引き継ぐことになった息子に宛てた最後の1通までの間に流れた時間は、20年程になるのだろうか? 著者の優れた見識と豊かな経験が、時に手厳しく、時に優しく、そしていつも愛情とウィットに満ちた手紙に込められている。 この著者の様な父が欲しかったし、自らもこの著者の様な父になりたいと願う人も多いのでは? 勿論、城山さんの訳も素晴らしい。
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風花病棟
全ての人に読んで頂きたい本のひとつです。 著者は東京大学を卒業してTBSに勤務した後、九州大学医学部に入り直し、精神科のクリニックを開業する一方で、既に多くの著作を持つ方です。 御自身の経験や同窓生を含む複数の医師達から取材した事実を踏まえつつ創作されたのだろうと推察しますが、立場と視点の異なる10人の医師による10の短編と云う形を取った作品集です。 10人の医師達の10人なりの人生、病気、医療、患者とその家族、同僚、関係者に対する思いや悩みが描かれており、どの短編も涙無くしては読み終わらないのですが、決して安っぽい「お涙頂戴」にならないのは、1つ1つの作品の設定に無理が無く、描写に強いリアリティがあり、強いメッセージが伝わって来るからだと思います。 全ての医師がここに描かれている様な良心を持った人物であると云う訳ではないかもしれませんが、恐らくは多くの医師達がここに描かれた様な思いを持って医療に従事されているのだと信じたいですね。 患者の立場に居る我々も、自分が診て貰っている医師達がこうした思いで日々の治療に当たっているのだと云う事を知っておくのは意味のあることだと思います。 余談ながら、大岡さんや城山さんの戦記物をほぼ全て読んでいる僕ですが、父島の話は、この本で初めて知りました。その点からも、この作品が綿密な取材に基づいて書かれた労作である事が窺い知れました。
ガリア戦記改版
塩野七生さんの「ローマ人の物語」を完読してしまい、次の巻はもう無いので、情報を掘り下げる段階に入り、読んでみました。 カエサルは演説に長け、豊かな文才を持っていたと云う事になっている訳ですが、残念ながら、この翻訳を読んでいても、それは伝わってきません。 それはさておき、ガリア戦役当時のガリア人とガリア社会が、ローマ人の価値観、ローマ人の利害と云う視点から描かれている為、当時のローマと非ローマの違いがよく分かる著作であるのは確かです。 ローマと云う国家の当時の様子や共和制ローマの政治風土がよく分かるので、ローマ好きなら必読なのではないでしょうか?
新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺
遠野は過去に3回訪ねた事があり、中でも、2011年9月には、僅か半日だけだったけれど、友人の友人である地元在住の方の案内付きで、荒神神社、卯子酉様、愛宕神社(卯子酉様の近くの物)、五百羅漢、続石、伝承園、カッパ淵等を訪ねた。 と云う経験をした上で本書を読んだのだが、科学だの教育だのと云ったものと無縁だった古の人々の、健気であったり、敬虔であったり、素朴であったり、ちょっと残酷だったり、少々狡かったりする、要するに人間の温もりが感じられる話が満載であり、楽しめたし、考えさせられた。 文章が難しかったと云うコメントを数人の方達が書いているが、成る程、小中学生には読み難いだろうけれど、高校生以上なら読める程度のもの。 2011年は、地震と津波と原発事故で東北地方が注目を集めた年だったが、ジパングの名が生まれた発端となった気仙地区と平泉を繋ぐ交通の要衝であった遠野に、古くから人の営みがあった事を知るのも良いのではないだろうか?
第一阿房列車
「阿房列車(あほうれっしゃ)」を「あぼうれっしゃ」だと思っていた僕は、かなりなアホウに違いない。 黒澤明監督の晩年の名作、「まあだだよ」に描かれた内田百間(正しくは「門構え」の中に「月」だが、正しい文字は、「機種依存文字」であるとして、アップロードを拒否される。)がものした、代表作の一つである。 作品は、還暦を過ぎた著者がヒマラヤ山系氏をお供に、「何の用事もない場所に列車で出掛けて、酒を飲んで帰ってくる」と云う事を主たる目的として旅に出た、その紀行文(?)だ。 ヒマラヤ山系氏とは、森まゆみ氏の後書きによれば、国鉄の雑誌編集者であった人で、著者のファンであったことから、原稿の依頼に行った事を切っ掛けとして、お互いに親しくなったものらしい。 著者は、概ね貶し、たまに持ち上げて書いているが、口数少なく、にも拘わらず、結構社交家で、多分かなり真面目で、しかし、大の左党であった様子が、著者一流のすっとぼけた描写で描かれている。 著者は、観光地巡り、名所旧跡訪問なんぞには、目もくれない。原則として、事前にシッカリとリサーチした路線情報に基づき、ひたすら鉄道に乗り、その日の目的地に着くと旅館に籠もって酒を飲み、翌日は昼まで寝る。朝食は、日頃の習慣を守り、一切食べない。そして、又、車上の人となる。 鉄道に関する知識と情熱は、相当の物である。 ここに描かれた著者の願望は、「頑張らない」、「力まない」、「ムキにならない」、「好きな事以外はしない」なのだけれど、なかなかそうも行かず、見送りや出迎えを受け、取材を受け、雨に降られ、女中の頑なさに辟易させられたりしている。 が、性懲りもなく次の阿房列車を仕立てるところをみると、やはり、相当に気に入っていたらしい。 著者を怠け者と見るか、拘りと思索の人と見るかは、読者次第。 余りその様な事は書いていないけれど、戦争で疲弊しきった国土がどの様に復興しつつあるのかも気になっての旅だったのかもしれない。 借金の大家であった筆者は、勿論、一連の阿房列車の旅にも借金して出掛けるが、さて、それは、阿房列車の原稿料で返せたのかしらん? 因みに、このシリーズに触発され、後に、阿川弘之氏が「南蛮阿房列車」を書き、沢木耕太郎氏が「深夜特急」を書いたと云う理解で良いのかな?
ビジネスマンの父より息子への30通の手紙
タイトルは「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」だが、ビジネスマンでなくとも大いに参考になる、普遍的な名著だと思う。 大学の選択に迷う息子に宛てた1通目から、立派に成長して社長の座を引き継ぐことになった息子に宛てた最後の1通までの間に流れた時間は、20年程になるのだろうか? 著者の優れた見識と豊かな経験が、時に手厳しく、時に優しく、そしていつも愛情とウィットに満ちた手紙に込められている。 この著者の様な父が欲しかったし、自らもこの著者の様な父になりたいと願う人も多いのでは? 勿論、城山さんの訳も素晴らしい。