いいですねえ、このタイトル。物事の本質を見極めていくと、表面的な認知とは全く逆のことが真実だったというのが、世界有数の叡智6人の言葉で浮かび上がってきます。知的刺激に満ち満ちた良書です。いい話を引き出すインタビューア(著者)の技量も凄いです。 真実を追い求め続けることができるから真実を理解できる、当たり前のことなのですが、自分のような凡人には実践が難しい。 なぜ難しいかというと、凡人は知らないことが不安だから、ある段階で理解した気になって、それ以上考えることを止めてしまうからなのです。面倒だなあという時には、手近な数人に聞いた答えの最大公約数的なところで納得してしまいます。 これではいけない。先ずは「自分は何も知らない。」ということを知るところから始めます。
低出力のエンジンを使って、防弾装甲をよりも長航続距離を優先した、優等生的な万能戦闘機を設計しろという技術的な難問に対して、機械設計の大先輩が成されたアプローチを知りたくて読みました。さすが、版を重ねてる本のことはあります。。。。が、後半は、いわゆる“大本営発表”により、正しい戦果報告による技術上のフィードバックが無かったために、今の世から見ればやや自画自賛気味ですから、飛ばし読みしました。 零戦( ZERO Fighter )が、太平洋戦争当時の日本の高度な技術力の象徴かのように神話化されて語られることが多いですが、前半を注意深く読めば、違うことが判ります。 というのも、低出力のエンジンしか作れなかった日本だから零戦が設計されたのですから。また、技術上の先生だった英米に対して宣戦布告をするから、戦争中のエンジン高出力化技術開発競争に敗北し、最後には零戦がコテンパンにやられたわけです。 堀越氏が、当時の日本の技術行政に携わっている人と、その上で外交や内政などに携わっている人にたいして批判的なのが印象的です。まるで、今の・・・・みたいです。
初版1974年(昭和49年)で、邦訳は1976年です。当時、自分は小学生でしたが、両親との会話でおぼろげながら、農薬禍がちょっとした騒ぎになっていたことを覚えています。高校の現代社会という教科で、この書名ぐらいは知っていました。 農薬と化学肥料に頼る農業は生態系を木っ端微塵にする自傷行為と同じということを、丁寧なデーターで教えてくれます。『農薬は虫を殺さない程度の毒』って揶揄されますが、捕食による生物濃縮をちゃんと説明しています。 発行から長らくたってようやく国際的な歩調が揃って来たのは、地球温暖化と共通する感があります。キーワード的なものでは 例えば、生物の多様性に関する条約(1992年)、有機JAS認証制度(2001年) 日本のお隣の某国では、工場排水の黒い水が農業用水になっていたり、野菜を洗うための洗剤がヒット商品だったり、欧米で禁止されている農薬を未だ使っていたり。。いやはや、40年前のアメリカや日本みたいです。
自分は、1966年生まれです。普通科高校教育課程の内容は、前年の1965年生まれの先達より、減っています。大学入試は1984年であり、共通一次(5教科7科目1000点満点時代)でした。引き続き、大学入試制度について、おさらいをしますと、共通一次は1987年から5教科5科目800点満点時代となり、1990年から現在まではセンター試験です。Wikiの記述によると、ほとんどの国公立大学は、受験生の学力低下を懸念して、センター試験について、5(または6)教科7科目、合計950点分の受験を課しているそうです。 つまり、“かつて受験戦争”と言われた過熱競争を緩和するため、“ゆとり教育”が導入さたものの、受験生の学力が低下したために最高学府である大学のレベル維持が困難になり、現在は復古の過程中だと、私は認識しています。 私の持論ですが、天然資源に恵まれず、食料自給率の低い日本は、人材(すなわち、知識・知恵・技術)こそが、立国の基盤だと考えます。具体例では、1960年代の高度成長期は、自動車・家電に代表される第二次産業による“加工貿易”で国として生計を立てていました。製造業の工場が次々に、単純労働的な人件費が安い新興工業国へ移転しているという現状については、新商品の開発機能が日本に残っているのであり、やはり、人材が立国の基盤だと考えます。ジャパニメーションに代表されるようなPOP_cultureの人材も、日本の立国の基盤だと考えます。現在の日本では、介護業界が伸びると言われていますが、まやかしです。なぜなら、家計で考えると、家の外で働いていた父母が祖父母の介護をするようなり、祖父母の年金(貯金)が父母に渡されるのと同じです。その家庭は、収入がなくて消費だけです。米や野菜を自家栽培(食料自給率をアップ)しないと、先が無いのは自明です。 中学生である私の息子の理科の検定教科書を見ましたが、自分の時と比べて内容が減っています。この状態は、日本の立国基盤としての人材の分野として科学技術や工業技術を想定すると、非常に憂慮すべき状態です。 さて、本書は、中学校の理科の学習参考書ですが、1949年生まれの著者の方は、あえて検定外教科書と呼んでいます。これまで述べてきたように、私も「検定教科書にしたい検定外教科書」という著者の意見に賛同します。
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知の逆転
いいですねえ、このタイトル。物事の本質を見極めていくと、表面的な認知とは全く逆のことが真実だったというのが、世界有数の叡智6人の言葉で浮かび上がってきます。知的刺激に満ち満ちた良書です。いい話を引き出すインタビューア(著者)の技量も凄いです。 真実を追い求め続けることができるから真実を理解できる、当たり前のことなのですが、自分のような凡人には実践が難しい。 なぜ難しいかというと、凡人は知らないことが不安だから、ある段階で理解した気になって、それ以上考えることを止めてしまうからなのです。面倒だなあという時には、手近な数人に聞いた答えの最大公約数的なところで納得してしまいます。 これではいけない。先ずは「自分は何も知らない。」ということを知るところから始めます。
零戦の遺産新装版
低出力のエンジンを使って、防弾装甲をよりも長航続距離を優先した、優等生的な万能戦闘機を設計しろという技術的な難問に対して、機械設計の大先輩が成されたアプローチを知りたくて読みました。さすが、版を重ねてる本のことはあります。。。。が、後半は、いわゆる“大本営発表”により、正しい戦果報告による技術上のフィードバックが無かったために、今の世から見ればやや自画自賛気味ですから、飛ばし読みしました。 零戦( ZERO Fighter )が、太平洋戦争当時の日本の高度な技術力の象徴かのように神話化されて語られることが多いですが、前半を注意深く読めば、違うことが判ります。 というのも、低出力のエンジンしか作れなかった日本だから零戦が設計されたのですから。また、技術上の先生だった英米に対して宣戦布告をするから、戦争中のエンジン高出力化技術開発競争に敗北し、最後には零戦がコテンパンにやられたわけです。 堀越氏が、当時の日本の技術行政に携わっている人と、その上で外交や内政などに携わっている人にたいして批判的なのが印象的です。まるで、今の・・・・みたいです。
沈黙の春
初版1974年(昭和49年)で、邦訳は1976年です。当時、自分は小学生でしたが、両親との会話でおぼろげながら、農薬禍がちょっとした騒ぎになっていたことを覚えています。高校の現代社会という教科で、この書名ぐらいは知っていました。 農薬と化学肥料に頼る農業は生態系を木っ端微塵にする自傷行為と同じということを、丁寧なデーターで教えてくれます。『農薬は虫を殺さない程度の毒』って揶揄されますが、捕食による生物濃縮をちゃんと説明しています。 発行から長らくたってようやく国際的な歩調が揃って来たのは、地球温暖化と共通する感があります。キーワード的なものでは 例えば、生物の多様性に関する条約(1992年)、有機JAS認証制度(2001年) 日本のお隣の某国では、工場排水の黒い水が農業用水になっていたり、野菜を洗うための洗剤がヒット商品だったり、欧米で禁止されている農薬を未だ使っていたり。。いやはや、40年前のアメリカや日本みたいです。
新しい科学の教科書(2)第3版
自分は、1966年生まれです。普通科高校教育課程の内容は、前年の1965年生まれの先達より、減っています。大学入試は1984年であり、共通一次(5教科7科目1000点満点時代)でした。引き続き、大学入試制度について、おさらいをしますと、共通一次は1987年から5教科5科目800点満点時代となり、1990年から現在まではセンター試験です。Wikiの記述によると、ほとんどの国公立大学は、受験生の学力低下を懸念して、センター試験について、5(または6)教科7科目、合計950点分の受験を課しているそうです。 つまり、“かつて受験戦争”と言われた過熱競争を緩和するため、“ゆとり教育”が導入さたものの、受験生の学力が低下したために最高学府である大学のレベル維持が困難になり、現在は復古の過程中だと、私は認識しています。 私の持論ですが、天然資源に恵まれず、食料自給率の低い日本は、人材(すなわち、知識・知恵・技術)こそが、立国の基盤だと考えます。具体例では、1960年代の高度成長期は、自動車・家電に代表される第二次産業による“加工貿易”で国として生計を立てていました。製造業の工場が次々に、単純労働的な人件費が安い新興工業国へ移転しているという現状については、新商品の開発機能が日本に残っているのであり、やはり、人材が立国の基盤だと考えます。ジャパニメーションに代表されるようなPOP_cultureの人材も、日本の立国の基盤だと考えます。現在の日本では、介護業界が伸びると言われていますが、まやかしです。なぜなら、家計で考えると、家の外で働いていた父母が祖父母の介護をするようなり、祖父母の年金(貯金)が父母に渡されるのと同じです。その家庭は、収入がなくて消費だけです。米や野菜を自家栽培(食料自給率をアップ)しないと、先が無いのは自明です。 中学生である私の息子の理科の検定教科書を見ましたが、自分の時と比べて内容が減っています。この状態は、日本の立国基盤としての人材の分野として科学技術や工業技術を想定すると、非常に憂慮すべき状態です。 さて、本書は、中学校の理科の学習参考書ですが、1949年生まれの著者の方は、あえて検定外教科書と呼んでいます。これまで述べてきたように、私も「検定教科書にしたい検定外教科書」という著者の意見に賛同します。
新しい科学の教科書(1)第3版
自分は、1966年生まれです。普通科高校教育課程の内容は、前年の1965年生まれの先達より、減っています。大学入試は1984年であり、共通一次(5教科7科目1000点満点時代)でした。引き続き、大学入試制度について、おさらいをしますと、共通一次は1987年から5教科5科目800点満点時代となり、1990年から現在まではセンター試験です。Wikiの記述によると、ほとんどの国公立大学は、受験生の学力低下を懸念して、センター試験について、5(または6)教科7科目、合計950点分の受験を課しているそうです。 つまり、“かつて受験戦争”と言われた過熱競争を緩和するため、“ゆとり教育”が導入さたものの、受験生の学力が低下したために最高学府である大学のレベル維持が困難になり、現在は復古の過程中だと、私は認識しています。 私の持論ですが、天然資源に恵まれず、食料自給率の低い日本は、人材(すなわち、知識・知恵・技術)こそが、立国の基盤だと考えます。具体例では、1960年代の高度成長期は、自動車・家電に代表される第二次産業による“加工貿易”で国として生計を立てていました。製造業の工場が次々に、単純労働的な人件費が安い新興工業国へ移転しているという現状については、新商品の開発機能が日本に残っているのであり、やはり、人材が立国の基盤だと考えます。ジャパニメーションに代表されるようなPOP_cultureの人材も、日本の立国の基盤だと考えます。現在の日本では、介護業界が伸びると言われていますが、まやかしです。なぜなら、家計で考えると、家の外で働いていた父母が祖父母の介護をするようなり、祖父母の年金(貯金)が父母に渡されるのと同じです。その家庭は、収入がなくて消費だけです。米や野菜を自家栽培(食料自給率をアップ)しないと、先が無いのは自明です。 中学生である私の息子の理科の検定教科書を見ましたが、自分の時と比べて内容が減っています。この状態は、日本の立国基盤としての人材の分野として科学技術や工業技術を想定すると、非常に憂慮すべき状態です。 さて、本書は、中学校の理科の学習参考書ですが、1949年生まれの著者の方は、あえて検定外教科書と呼んでいます。これまで述べてきたように、私も「検定教科書にしたい検定外教科書」という著者の意見に賛同します。