東ロボくんは中高生の学習問題を浮き彫りに

著者は、法学士であり数学者で、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクタを務める新井紀子さん。本書は、AI(人工知能)というテクノロジーに過大な評価や、過剰な警戒を喧伝する昨今の風潮に、論理的な一石を投じるものである。 プロジェクト開始から6年で、東ロボくんは東大には合格できないが、MARCHクラスなら合格できるし、将来ホワイトカラーを目指す若者たちの仕事を肩代わりするのではないかという仮説を立てる。19世紀イギリスのラッダイト運動に代表されるように、人類は過去何度か、仕事を奪われる局面に遭遇した。だが新井さんは、AIの台頭は、そういった過去の事例とは「質的な違いを感じる」(68ページ)という。 新井さんは「けれど、AIは意味を理解しているわけではありません。AIは入力に応じて『計算』し、答えを出力しているに過ぎません」(107ページ)という。つまり、数式化できない「常識」を扱うことができない。AIがコンピュータ・プログラムである限り、たとえスーパーコンピュータや量子コンピュータを動員したとしても、この原理原則は変わらないのだ。 東ロボくんと並行して、新井さんは人間が数学の問題を解く能力を解析するために、大学生数学基本調査を実施した。ところが予想外に成績が振るわず、さらに2万5千人の中高校生の基礎的読解力を調査することにした。 その結果、「ドリルと暗記で定期テストを乗りきったりすることはできます。けれども、レポートの意味や、テストの意味は理解できません。AIに似ています。AIに似ているということは、AIに代替されやすい能力だということです」(230ページ)と警鐘を鳴らす。 けれども、読解力を向上させるための科学的な手段は見つかっていないという。新井さんの説明は最後まで論理的であり、読者を裏切らない。 ここまで読んで、私はこう感じた――読解力、意味を理解する能力は、AIが達成できていない、すなわち数学的に記述できないものである以上、それを養う手段もまた、現代数学では記述できないはずである。となると、数学的でない手段、すなわち再現性のない手段を導入してはどうか。たとえば、最前線で研究している学者や芸術家との対話、旅行やスポーツといったレジャー。こういった「遊び」を心から楽しむことが、AIで代替できない能力を養う王道なのではないか。