量子力学の大河ドラマ

著者のルイーザ・ギルダーは、2000年にダートマス大学を卒業した科学ジャーナリストで、8年超に及ぶ徹底取材でものにした本書が初めての著書という。 アルバート・アインシュタインという一人の天才の独創によって誕生した相対論に対し、量子論は100年にわたり数多くの物理学者たちの努力によって構築されていった。本書は、アインシュタインという巨大な才能に挑む多くの物理学者の交流を描いた大河ドラマである。 ルイーザ・ギルダーは、「対話は科学にとって必要不可欠なものである」(17ページ)という。本書は、脚色はあるものの、当時の科学者たちの手紙のやり取りなどの史実を元に書かれている。ネットもなく、国際電話も普及していなかった時代、科学者たちは手紙の上で議論したことは間違いないだろう。それが科学を発展させたのだ。 第二次大戦前、量子力学をめぐる解釈は、デンマークの首都コペンハーゲンにあるボーア研究所から発信された「コペンハーゲン解釈」に集約されていった。 だが、偉大なるアインシュタインは生涯、量子論を受け入れようとしなかった。ボーアは「アインシュタインが正しいのなら、物理学はもうおしまいだ」(232ページ)と呟いたという。 それでも、アインシュタインの科学者としての姿勢は確かなもので、1931年、不確定性原理のハイゼンベルクと、波動力学のシュレーディンガーをノーベル賞候補として推薦した。だが、アインシュタインの推薦は他の誰とも意見が合わず、ノーベル賞委員会が大混乱に陥った結果、1931年の物理学賞は該当者なしとなった。 そして、1933年1月末日、ヒトラーが政権に就くと、コペンハーゲン解釈に連なる物理学者たちは散り散りになってしまう。 この頃、心を病んだパウリは心理学者ユングに接触し、テレパシーについて考えるようになる。シュレーディンガーは、統計的確率と不確定原理を混同しているアインシュタインに異議を唱えるべく、のちに「シュレーディンガーの猫」と呼ばれる思考実験を発表する。 だが、アインシュタインは1942年、「私は一瞬たりとも、神がサイコロを振り『テレパシー』を使っていると信じたことはない」と語り、量子物理学者たちの意見を一蹴した。この結果、テレパシーやシュレーディンガーの猫についての誤った考えが、現代に伝わってしまった。アインシュタインは、それほどの影響力を持つ存在だった。