慶応4年(1868)の会津鶴ヶ城の攻防戦を実に詳細に解説しており、その悲惨さは十分に実感できた。ただ地理的状況がよく分からず、かなり飛ばし読みをさせていただいた。会津藩の危機管理の欠如、情報戦略の失敗など、藩主・重臣の無策無能を辛口に著述しているのが特徴だ。後に板垣退助が述べているが、会津は上下の差別が厳しく庶民に不平不満が蓄積されていたため、国の存亡に際し、愛国心もなく離散し、さらには薩長に協力する者も多く出て、それが容易に降伏という事態を招いたようである。常日頃威張り散らし、特権を独占し、それがために民心を掌握できず、いくら危急の作戦とは言え平気で民家に放火して庶民を苦しめるのが会津武士道の一端だとしたら、それはあまりに情けない。
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