「トムは真夜中の庭で」のミュージカル(脚本・押川理佐さん)を観に行く予定なので、原作を読んでおきたかった。 私が子どもの頃に読んだのか、大人になってから読んだのか、正直言って記憶にない。 けれども断片的にストーリーを覚えているし、何より挿絵が印象に残っていて、懐かしいような、新鮮なような、不思議な感じがした。 そうした意味で、再読している私自身が、トムと遊んだ時代を夢に見る年老いたハティ、すなわちバーソロミュー夫人の立場と重なる。 最初に読んだときは、トムになって冒険した気分だったはずだけど……フィリパ・ピアスは、そんな読者の変化も見通していたのかもしれない。 この本の仕掛けに見事にハマったように感じる。 いずれにせよ、時を経て再読できてよかった。 つらい幼少期を過ごしたハティにとって、トムの存在は慰めだったろうし、彼女が大人になるにつれ、幸せになっていった物語に励まされる。 真夜中に象徴されるハティの人生にも、やがては朝が訪れるように、希望の光が注がれる時が来るのだ。 ちなみに、この作品に引用されている聖句(黙示録10章1節から6節)は、大天使ミカエルが世の終わりを宣言する箇所。 終末は近い!まもなくキリストが再臨される!大人たちよ、早く子どものような純粋な心を取り戻し、神に立ち返りなさい!……そんなメッセージを受け取るのは、私だけだろうか。 まだまだフィリパ・ピアスの仕掛けは続いている気がする。
優秀な牧師に出会って聖書研究を始めて5年、歴史や当時の文化・風習に基づいた解釈を学べて、私の信仰生活は恵まれてきたと感謝している。 ただ、カトリック教会では全く体験しなかった、人間関係の激しい衝突に疲弊し「こんなふうに国語や歴史を勉強するように、聖書を読んでばかりいていいのだろうか。もっと自分の心の内面に焦点を当てるべきなのでは」積もる悩みからこの本に辿り着いた。 最初におもしろい!と思ったのは「聖書を読むことが既に祈りである」という考え方。「そうなのか、それならできる」と思った。祈りに集中できないとき、疲れて思考がまとまらないとき、聖書をじっくりゆっくり読むことが祈りだなんて。まさにタイトルの通り「目からウロコ」! そして、反芻して読むことがいいと聞いてホッとした。普段から私は情景が浮かぶまで同じ箇所を何度も読む。これでよかったのだ。この後、なぜこの箇所が私の心に響いたか?洞察を深めたり、神は何を私に教えようとしているのか?適用を見出したり、神と共にいる時間を感じる。これがレクチオ・ディヴィナ(入門)なら、一人でも大勢でも、誰でもできる。 プロテスタントの聖書研究も大切だが(指導者の自分勝手な解釈と説教による「教会のカルト化」を防ぐ効果は非常に高い)、それとは別に時間を作って、このレクチオ・ディヴィナというクリエイティブな聖書の読み方・祈り方が教会内で行われれば、精神的に自律した信徒が増え、もっと落ち着いたクリスチャン生活に成長するのではないかと思う。少なくとも私は、関わっている教会や信徒の問題に振り回されず、カトリックとプロテスタント両方のよいところを取り入れて、神に喜ばれる信仰生活(主イエスのように、慎ましく、麗しく、気品に満ちた生活)を心がけて歩みたい。
パンばかりだと絵本全体が茶系だけど、今回おにぎりが題材になったために、いつもと色彩が違って気分も変わります。 どこを開いても美味しそうなページばかり、、、柴田ケイコさんは本当に食べ物を描くのが、お上手だなぁと感心します。 それよりパンどろぼうシリーズを順番に読んでよかった。 まだ読んでいない人は、ぜひ順番通りに読まれることをお勧めします。面白さ倍増!
書店でこの絵本のシリーズを見かけて以来、 実は帯も気に入っていたので、 楽天で注文してもついているといいな! そう願って、何度も祈っていました。 届いたダンボール箱を開けて、、、 やったぁ万歳!神様ありがとう!! 大好きな絵本は隅々まで宝物。 開くたび愛おしさが増し加わります。
なんとなく我が家の愛犬とキャラが被る、このパンどろぼうに愛しさを覚えて、ついに全巻を購入。 決して文学的な作品ではないし、絵もハイスキルじゃない(ごめんなさい)。 けれども親しみ溢れる物語、シンプルな展開、一生懸命さが伝わってくるイラストに、心を鷲掴みにされました。 つらいときも、苦しいときも、悲しくて泣けるときも、、、パンどろぼうに励まされて元気が湧いてきます。 いつもありがとう!
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トムは真夜中の庭で
「トムは真夜中の庭で」のミュージカル(脚本・押川理佐さん)を観に行く予定なので、原作を読んでおきたかった。 私が子どもの頃に読んだのか、大人になってから読んだのか、正直言って記憶にない。 けれども断片的にストーリーを覚えているし、何より挿絵が印象に残っていて、懐かしいような、新鮮なような、不思議な感じがした。 そうした意味で、再読している私自身が、トムと遊んだ時代を夢に見る年老いたハティ、すなわちバーソロミュー夫人の立場と重なる。 最初に読んだときは、トムになって冒険した気分だったはずだけど……フィリパ・ピアスは、そんな読者の変化も見通していたのかもしれない。 この本の仕掛けに見事にハマったように感じる。 いずれにせよ、時を経て再読できてよかった。 つらい幼少期を過ごしたハティにとって、トムの存在は慰めだったろうし、彼女が大人になるにつれ、幸せになっていった物語に励まされる。 真夜中に象徴されるハティの人生にも、やがては朝が訪れるように、希望の光が注がれる時が来るのだ。 ちなみに、この作品に引用されている聖句(黙示録10章1節から6節)は、大天使ミカエルが世の終わりを宣言する箇所。 終末は近い!まもなくキリストが再臨される!大人たちよ、早く子どものような純粋な心を取り戻し、神に立ち返りなさい!……そんなメッセージを受け取るのは、私だけだろうか。 まだまだフィリパ・ピアスの仕掛けは続いている気がする。
聖書の読み方レクチオ・ディヴィナ入門
優秀な牧師に出会って聖書研究を始めて5年、歴史や当時の文化・風習に基づいた解釈を学べて、私の信仰生活は恵まれてきたと感謝している。 ただ、カトリック教会では全く体験しなかった、人間関係の激しい衝突に疲弊し「こんなふうに国語や歴史を勉強するように、聖書を読んでばかりいていいのだろうか。もっと自分の心の内面に焦点を当てるべきなのでは」積もる悩みからこの本に辿り着いた。 最初におもしろい!と思ったのは「聖書を読むことが既に祈りである」という考え方。「そうなのか、それならできる」と思った。祈りに集中できないとき、疲れて思考がまとまらないとき、聖書をじっくりゆっくり読むことが祈りだなんて。まさにタイトルの通り「目からウロコ」! そして、反芻して読むことがいいと聞いてホッとした。普段から私は情景が浮かぶまで同じ箇所を何度も読む。これでよかったのだ。この後、なぜこの箇所が私の心に響いたか?洞察を深めたり、神は何を私に教えようとしているのか?適用を見出したり、神と共にいる時間を感じる。これがレクチオ・ディヴィナ(入門)なら、一人でも大勢でも、誰でもできる。 プロテスタントの聖書研究も大切だが(指導者の自分勝手な解釈と説教による「教会のカルト化」を防ぐ効果は非常に高い)、それとは別に時間を作って、このレクチオ・ディヴィナというクリエイティブな聖書の読み方・祈り方が教会内で行われれば、精神的に自律した信徒が増え、もっと落ち着いたクリスチャン生活に成長するのではないかと思う。少なくとも私は、関わっている教会や信徒の問題に振り回されず、カトリックとプロテスタント両方のよいところを取り入れて、神に喜ばれる信仰生活(主イエスのように、慎ましく、麗しく、気品に満ちた生活)を心がけて歩みたい。
パンどろぼう おにぎりぼうやのたびだち
パンばかりだと絵本全体が茶系だけど、今回おにぎりが題材になったために、いつもと色彩が違って気分も変わります。 どこを開いても美味しそうなページばかり、、、柴田ケイコさんは本当に食べ物を描くのが、お上手だなぁと感心します。 それよりパンどろぼうシリーズを順番に読んでよかった。 まだ読んでいない人は、ぜひ順番通りに読まれることをお勧めします。面白さ倍増!
パンどろぼうとなぞのフランスパン
書店でこの絵本のシリーズを見かけて以来、 実は帯も気に入っていたので、 楽天で注文してもついているといいな! そう願って、何度も祈っていました。 届いたダンボール箱を開けて、、、 やったぁ万歳!神様ありがとう!! 大好きな絵本は隅々まで宝物。 開くたび愛おしさが増し加わります。
パンどろぼうvsにせパンどろぼう
なんとなく我が家の愛犬とキャラが被る、このパンどろぼうに愛しさを覚えて、ついに全巻を購入。 決して文学的な作品ではないし、絵もハイスキルじゃない(ごめんなさい)。 けれども親しみ溢れる物語、シンプルな展開、一生懸命さが伝わってくるイラストに、心を鷲掴みにされました。 つらいときも、苦しいときも、悲しくて泣けるときも、、、パンどろぼうに励まされて元気が湧いてきます。 いつもありがとう!