著者は特に専門の進化生物学により、進化論によって紀元前700万年のアフリカでの人誕生を説いています。しかし進化論は間違いです。多様な生物には其々固有の種が存在し、種と種の間の壁を破って通る事は出来ません。遺伝の法則によりチンパンジーはいつまでもチンパンジー、人間はいつまでも人間であり続けるのです。その事はメンデルが証明しました。もしもチンパンジーやサルから人間が進化したのなら、他の生物よりも卓越した「知性」が与えられた人間の生命の尊厳は無くなってしまいます。また進化論を肯定する場合、創造主である唯一神を否定している事にもなります。故に、進化論はサタニズム(悪魔主義・悪魔崇拝)であるとも解釈出来ます。 旧約聖書・創世記1章24~25節「ついで神は、『地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ』と仰せられた。するとそのようになった。」 人間社会の展開に影響を与えたものの一つとして、植物の栽培化と動物の家畜化の食糧生産が在り、余剰食物の蓄積・貯蔵から非生産者階級が生まれ、人口稠密な大規模集団と集権的社会の形成に繋がり、技術、政治、軍事等の発達に繋がったとしています。そしてタイトルにある兵器である銃や鉄、原住民が対抗する免疫力をまだ持っていない種類の病原菌を運ぶ事によって、侵略、民族の遷移、勢力拡大に繋がったとしています。 その食糧生産がB.C.8500年~B.C.7000年以前から最初に始まったのは、メソポタミア地方の「肥沃三日月地帯」であるとし、小麦、エンドウ、オリーブ、羊等が栽培飼育されていたとしています。 現在の中東地域であるメソポタミア地方は砂漠化していますが、昔は土地が肥えて緑豊かでありました。そして世界最初の文明が誕生し、食糧生産から都市や文字の誕生、そして帝国の誕生へと繋がりました。 文字はB.C.3000年頃にシュメール人によって作り出され、食糧の収支報告・記録の必要性から、文字のシステム化へと繋げました。 現在においても其々「旧約聖書」を根拠とするキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の世界三大宗教の聖地の存在する所であり、イスラエル建国が原因であるパレスチナ問題によって世界の火薬庫となっている事、世界有数の石油産出地域、地理的にも大陸の交わる要であり、人の誕生から現代、そして未来においても、中東地域は様々な面において、世界の中心でありつづけるのです。
私も若く成長をしていた頃は前ばかりを向いて勢いが有りましたが、つまずいて立ち止まり過去を振り返り、忙しさのあまり多くの事を見逃して来た事に気付き、失敗や罪に当たる事も誤魔化して来ていた事が解り、後悔し反省しました。後ろを振り返り点検する事が無く、知らない間に思わぬ方向へ逸れてしまい、人間としての本来あるべき姿からかけ離れてしまっている事が有ります。過去は実際に在った事、自分の心の奥深くにしまわずタブーにせずにさらけ出して「悔い改め」をし、それによって未来への真の希望が湧いて来る事に繋がります。人間の根本は心であり、その根本が悪ければ、表面的に繕っても何時までも変わりません。また最近、インターネット等でタブーが暴かれているのも過去を振り返る事によるのであり、その様に過去を振り返る事から真実が見えて来ます。 努力は必要ですが、無理せず人と競わずマイペースでする事が、殆どの世間の人々にとって下山に当たると思います。世間の評価・評判・見栄・付き合い・しがらみ等の束縛から自身を解放し、今までと異なった見方・捉え方で情報を捉えたり物事と接し、自分は自分として世間と違った道を歩む事が下山に当たると思います。そうする事で、行き詰まり感から希望が湧いてくるのではないかと思います。情報の捉え方が異なる事は、世間的に常識とされる事を疑い真実に目覚める事になります。 法然と親鸞が其れまでと違って修行、教養、寄進等を必要とせずに、罪を犯した人も皆浄土へ行く事が出来ると言う教えを、山から下りて下層の民に入って広めて行きました。同時期にイタリアで活動されていたアシジのフランシスコは元々裕福な商人の家の生まれでしたが、学問を身に付けず全てを捨て、粗末な衣を身にまとって托鉢的に布教したり、らい病の患者を癒したりしました。その清貧の姿から民衆や教皇等の教会側が正していく事に繋がりました。 下山し、自分の能力で自己実現しようとするのでは無く、運命に委ねる、神様に委ねる事が人間の本当の姿に繋がるものと思います。成る様に成る。宇宙、自然、あらゆるものの存在について科学的に説明する事には限界が有り、説明出来ない「不思議」な事が現実に起こっています。人間の生命を始め、その奇跡的な事が、万物の創造主による神様によるものという事と言う事を悟り、其の方に委ねる事で全ての事からの解放が得られ、真の幸福へと繋がります。
1965年に米軍がベトナム民主共和国へ北爆開始、50万人の大軍を投入し本格的となった。米軍は軍事関連施設のみを爆撃の対象と言いつつ、実際には病院・学校・民家・キリスト教会・農業施設等、枯葉剤やナパーム弾を用いて「皆殺し作戦」を行なった。枯葉剤は戦後に健康被害や出産異常を引き起こし、焼夷兵器のナパーム弾は広範囲を無差別に焼き尽くした。又、米軍や同盟国軍が一般村民に、無差別機銃掃討や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋の放火等があった。後にベトナム女性との混血児が確認されている。其の米国に対抗する為に前線へ出た男性に代わって後方で婦人部隊が組織され、農作業の際にも銃を所持し町の警備に当たる等をして、民衆全体が米国に対して抵抗し独立に向かって戦った。 南のベトナム共和国の大統領グエン・バン・チューは強烈な反共主義者であったが、南ベトナムでの麻薬の不正取引の元締めでベトコンからも麻薬を入手していた。更に南部の政府は不正や汚職が蔓延し、軍も堕落し規律の維持も難しくなり、一般市民は米軍に媚び諂って売春等が流行り、全てが腐敗していた。 ホー・チ・ミンは戦争中の1969年に亡くなられたが、共産主義の実現よりも民族解放・ベトナム独立が生涯の主要課題であった。又、腐敗や汚職、粛清に無縁で、禁欲的で無私な指導者であった。自らが個人崇拝の対象になる事を嫌っていた。自伝の類を残さず現存する霊廟等は、ベトナム労働党政治局がホーの遺言を無視して作ってしまった。その高潔な人柄から民衆から尊崇を集めて愛された。 本書の著者は1964年に南ベトナムの米軍に同行し、南ベトナムの独裁政権と介入する米国に抵抗していたベトコンを向こうにして米軍側からの視点で取材した。国際世論の米国批判が高まる前であった事、米国との同盟国の日本、「…堕落…傲慢、無知、侮蔑、恐怖、無神論…」が米国と南側の同盟国軍に存在、米国追従国家日本の特にメディアの姿勢等も影響にあった様な内容であるように感じる。南部の腐敗は伺えたが、米国帝国主義による北側への無差別爆撃等の虐殺、侵略行為については、本書からは全く解らない。ベトナム側の視点に立ち、その様な米軍の悪の「真実」が解る様な内容の方が私にとっては良かった様に思い、残念である。知識の余り無い人にとっては、視点を持つ側、或いは主人公の側が正義の様に勘違いされ、相手の敵が悪者と勘違いされかねない。
鎖国状態であった清朝は、長江・黄河文明以来の長い歴史を背景にした中央の支配階級(朝廷)の中華思想(華夷秩序)による選民意識と、国内が豊かで不足する物が無いという事から外国との交易に興味を抱かなかった。英国が入超、清国が出超の片貿易で銀本位制の清には多量の銀貨が入った。英国が1775年からの米国独立戦争の戦費の需要から清朝への銀貨の流出を抑える為、インドで栽培したアヘンを清国へ輸出した。清はアヘンの禁令を何回か出したが、官僚に賄賂が横行し庶民の間での需要の高まりから密輸が増えた。次第に銀貨が清から流出して少なくなり、庶民のアヘンによる愚民化の問題が大きくなり、林則徐が1838年に弛禁論を抑えてアヘン根絶を目指し、アヘンの禁輸・没収・処分(不正官吏も)・懲罰を実行し、英商を追放した。 1840年に派遣された英国艦隊を見て恐れた清の上層部が林則徐を解任して、其の後継者が英国に媚び諂い、2年後に不平等条約の南京条約を結んだ。英国の産業革命による近代兵器は、清国のその分野での遅れを表す結果となった。 英国による不義の戦で英軍に占領された所では掠奪・淫虐が行われ、生死離散、淫掠地獄と化した。又、不平等条約の南京条約は、香港島割譲・多額の賠償金・貿易完全自由化・上海等主要港5港の開港を其の後の付属協定として、領事裁判権(治外法権)・片務的最恵国待遇・協定関税(関税自主権喪失)が締結され、清国は大変な屈辱と理不尽な苦しみを味わった。 其の後の日清戦争後に、英・仏・露・独・米・日によって清国の半植民地化が図られ、満州事変、日中戦争で占領・植民地化された事等も併せ、文明発祥の地として歴史ある大国で文化や芸術も多く、中華思想を持つ誇り高い中華民族である事から相当な屈辱感を抱き、其れが今日の経済成長や軍事力への力に繋がった。 補足として、1832年にユダヤ人の富豪が設立したサッスーン商会は、英国の東インド会社からアヘンの専売権をとって中国で密売し、莫大な利益を上げて中国の銀を運び出した。アヘン戦争以降、ユダヤ財閥たちは競って中国へ上陸していった。サッスーン財閥はロンドンに本部を置き上海に営業所を設け、英・米・仏・独・ベルギーなどのユダヤ系商事会社・銀行を組合員に持ち、親銀行に、鉄道、運輸、鉱山、牧畜、建設、土地・為替売買、金融保証を主な営業科目として、インド、東南アジア、インドシナ、中国に投資を展開していった。
夢の中で、岩手の山や川、花、木、森林、動物等の豊かな自然と、其処に住む人々との触れ合いが、描かれています。岩手の昔の豊かな自然・情景を眺めているだけで、其処から詩が浮かんで来るのではないかと思われます。
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文庫 銃・病原菌・鉄 上
著者は特に専門の進化生物学により、進化論によって紀元前700万年のアフリカでの人誕生を説いています。しかし進化論は間違いです。多様な生物には其々固有の種が存在し、種と種の間の壁を破って通る事は出来ません。遺伝の法則によりチンパンジーはいつまでもチンパンジー、人間はいつまでも人間であり続けるのです。その事はメンデルが証明しました。もしもチンパンジーやサルから人間が進化したのなら、他の生物よりも卓越した「知性」が与えられた人間の生命の尊厳は無くなってしまいます。また進化論を肯定する場合、創造主である唯一神を否定している事にもなります。故に、進化論はサタニズム(悪魔主義・悪魔崇拝)であるとも解釈出来ます。 旧約聖書・創世記1章24~25節「ついで神は、『地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ』と仰せられた。するとそのようになった。」 人間社会の展開に影響を与えたものの一つとして、植物の栽培化と動物の家畜化の食糧生産が在り、余剰食物の蓄積・貯蔵から非生産者階級が生まれ、人口稠密な大規模集団と集権的社会の形成に繋がり、技術、政治、軍事等の発達に繋がったとしています。そしてタイトルにある兵器である銃や鉄、原住民が対抗する免疫力をまだ持っていない種類の病原菌を運ぶ事によって、侵略、民族の遷移、勢力拡大に繋がったとしています。 その食糧生産がB.C.8500年~B.C.7000年以前から最初に始まったのは、メソポタミア地方の「肥沃三日月地帯」であるとし、小麦、エンドウ、オリーブ、羊等が栽培飼育されていたとしています。 現在の中東地域であるメソポタミア地方は砂漠化していますが、昔は土地が肥えて緑豊かでありました。そして世界最初の文明が誕生し、食糧生産から都市や文字の誕生、そして帝国の誕生へと繋がりました。 文字はB.C.3000年頃にシュメール人によって作り出され、食糧の収支報告・記録の必要性から、文字のシステム化へと繋げました。 現在においても其々「旧約聖書」を根拠とするキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の世界三大宗教の聖地の存在する所であり、イスラエル建国が原因であるパレスチナ問題によって世界の火薬庫となっている事、世界有数の石油産出地域、地理的にも大陸の交わる要であり、人の誕生から現代、そして未来においても、中東地域は様々な面において、世界の中心でありつづけるのです。
下山の思想
私も若く成長をしていた頃は前ばかりを向いて勢いが有りましたが、つまずいて立ち止まり過去を振り返り、忙しさのあまり多くの事を見逃して来た事に気付き、失敗や罪に当たる事も誤魔化して来ていた事が解り、後悔し反省しました。後ろを振り返り点検する事が無く、知らない間に思わぬ方向へ逸れてしまい、人間としての本来あるべき姿からかけ離れてしまっている事が有ります。過去は実際に在った事、自分の心の奥深くにしまわずタブーにせずにさらけ出して「悔い改め」をし、それによって未来への真の希望が湧いて来る事に繋がります。人間の根本は心であり、その根本が悪ければ、表面的に繕っても何時までも変わりません。また最近、インターネット等でタブーが暴かれているのも過去を振り返る事によるのであり、その様に過去を振り返る事から真実が見えて来ます。 努力は必要ですが、無理せず人と競わずマイペースでする事が、殆どの世間の人々にとって下山に当たると思います。世間の評価・評判・見栄・付き合い・しがらみ等の束縛から自身を解放し、今までと異なった見方・捉え方で情報を捉えたり物事と接し、自分は自分として世間と違った道を歩む事が下山に当たると思います。そうする事で、行き詰まり感から希望が湧いてくるのではないかと思います。情報の捉え方が異なる事は、世間的に常識とされる事を疑い真実に目覚める事になります。 法然と親鸞が其れまでと違って修行、教養、寄進等を必要とせずに、罪を犯した人も皆浄土へ行く事が出来ると言う教えを、山から下りて下層の民に入って広めて行きました。同時期にイタリアで活動されていたアシジのフランシスコは元々裕福な商人の家の生まれでしたが、学問を身に付けず全てを捨て、粗末な衣を身にまとって托鉢的に布教したり、らい病の患者を癒したりしました。その清貧の姿から民衆や教皇等の教会側が正していく事に繋がりました。 下山し、自分の能力で自己実現しようとするのでは無く、運命に委ねる、神様に委ねる事が人間の本当の姿に繋がるものと思います。成る様に成る。宇宙、自然、あらゆるものの存在について科学的に説明する事には限界が有り、説明出来ない「不思議」な事が現実に起こっています。人間の生命を始め、その奇跡的な事が、万物の創造主による神様によるものという事と言う事を悟り、其の方に委ねる事で全ての事からの解放が得られ、真の幸福へと繋がります。
輝ける闇
1965年に米軍がベトナム民主共和国へ北爆開始、50万人の大軍を投入し本格的となった。米軍は軍事関連施設のみを爆撃の対象と言いつつ、実際には病院・学校・民家・キリスト教会・農業施設等、枯葉剤やナパーム弾を用いて「皆殺し作戦」を行なった。枯葉剤は戦後に健康被害や出産異常を引き起こし、焼夷兵器のナパーム弾は広範囲を無差別に焼き尽くした。又、米軍や同盟国軍が一般村民に、無差別機銃掃討や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋の放火等があった。後にベトナム女性との混血児が確認されている。其の米国に対抗する為に前線へ出た男性に代わって後方で婦人部隊が組織され、農作業の際にも銃を所持し町の警備に当たる等をして、民衆全体が米国に対して抵抗し独立に向かって戦った。 南のベトナム共和国の大統領グエン・バン・チューは強烈な反共主義者であったが、南ベトナムでの麻薬の不正取引の元締めでベトコンからも麻薬を入手していた。更に南部の政府は不正や汚職が蔓延し、軍も堕落し規律の維持も難しくなり、一般市民は米軍に媚び諂って売春等が流行り、全てが腐敗していた。 ホー・チ・ミンは戦争中の1969年に亡くなられたが、共産主義の実現よりも民族解放・ベトナム独立が生涯の主要課題であった。又、腐敗や汚職、粛清に無縁で、禁欲的で無私な指導者であった。自らが個人崇拝の対象になる事を嫌っていた。自伝の類を残さず現存する霊廟等は、ベトナム労働党政治局がホーの遺言を無視して作ってしまった。その高潔な人柄から民衆から尊崇を集めて愛された。 本書の著者は1964年に南ベトナムの米軍に同行し、南ベトナムの独裁政権と介入する米国に抵抗していたベトコンを向こうにして米軍側からの視点で取材した。国際世論の米国批判が高まる前であった事、米国との同盟国の日本、「…堕落…傲慢、無知、侮蔑、恐怖、無神論…」が米国と南側の同盟国軍に存在、米国追従国家日本の特にメディアの姿勢等も影響にあった様な内容であるように感じる。南部の腐敗は伺えたが、米国帝国主義による北側への無差別爆撃等の虐殺、侵略行為については、本書からは全く解らない。ベトナム側の視点に立ち、その様な米軍の悪の「真実」が解る様な内容の方が私にとっては良かった様に思い、残念である。知識の余り無い人にとっては、視点を持つ側、或いは主人公の側が正義の様に勘違いされ、相手の敵が悪者と勘違いされかねない。
実録アヘン戦争
鎖国状態であった清朝は、長江・黄河文明以来の長い歴史を背景にした中央の支配階級(朝廷)の中華思想(華夷秩序)による選民意識と、国内が豊かで不足する物が無いという事から外国との交易に興味を抱かなかった。英国が入超、清国が出超の片貿易で銀本位制の清には多量の銀貨が入った。英国が1775年からの米国独立戦争の戦費の需要から清朝への銀貨の流出を抑える為、インドで栽培したアヘンを清国へ輸出した。清はアヘンの禁令を何回か出したが、官僚に賄賂が横行し庶民の間での需要の高まりから密輸が増えた。次第に銀貨が清から流出して少なくなり、庶民のアヘンによる愚民化の問題が大きくなり、林則徐が1838年に弛禁論を抑えてアヘン根絶を目指し、アヘンの禁輸・没収・処分(不正官吏も)・懲罰を実行し、英商を追放した。 1840年に派遣された英国艦隊を見て恐れた清の上層部が林則徐を解任して、其の後継者が英国に媚び諂い、2年後に不平等条約の南京条約を結んだ。英国の産業革命による近代兵器は、清国のその分野での遅れを表す結果となった。 英国による不義の戦で英軍に占領された所では掠奪・淫虐が行われ、生死離散、淫掠地獄と化した。又、不平等条約の南京条約は、香港島割譲・多額の賠償金・貿易完全自由化・上海等主要港5港の開港を其の後の付属協定として、領事裁判権(治外法権)・片務的最恵国待遇・協定関税(関税自主権喪失)が締結され、清国は大変な屈辱と理不尽な苦しみを味わった。 其の後の日清戦争後に、英・仏・露・独・米・日によって清国の半植民地化が図られ、満州事変、日中戦争で占領・植民地化された事等も併せ、文明発祥の地として歴史ある大国で文化や芸術も多く、中華思想を持つ誇り高い中華民族である事から相当な屈辱感を抱き、其れが今日の経済成長や軍事力への力に繋がった。 補足として、1832年にユダヤ人の富豪が設立したサッスーン商会は、英国の東インド会社からアヘンの専売権をとって中国で密売し、莫大な利益を上げて中国の銀を運び出した。アヘン戦争以降、ユダヤ財閥たちは競って中国へ上陸していった。サッスーン財閥はロンドンに本部を置き上海に営業所を設け、英・米・仏・独・ベルギーなどのユダヤ系商事会社・銀行を組合員に持ち、親銀行に、鉄道、運輸、鉱山、牧畜、建設、土地・為替売買、金融保証を主な営業科目として、インド、東南アジア、インドシナ、中国に投資を展開していった。
注文の多い料理店
夢の中で、岩手の山や川、花、木、森林、動物等の豊かな自然と、其処に住む人々との触れ合いが、描かれています。岩手の昔の豊かな自然・情景を眺めているだけで、其処から詩が浮かんで来るのではないかと思われます。