▲なかなかうかがい知れない家康以前の松平家の様子も可能な限り述べている。 そういう点に加えてできるだけ原資料に忠実であろうという点が、家康の実像に迫るうえで効果的に働いている。 家康通史を読みたいという方におすすめ。 ▲この本を読むと、時代の流れに翻弄されながらも自国領土の保全のために最善の手を模索し続けた、ほかの戦国武将と全く同列の家康が浮かび上がってくる。 家康が特殊なのはそうしているうちに何のめぐり合わせか天下人になってしまったことで、もしかしたら当の家康がいちばんびっくりしているのかもしれない。 ▲歴史の流れや周囲の状況とかかわる家康は見えてくるが、家康の感情や機微はこの本からは窺いづらい。 まあこれは当然といえば当然で、資料に忠実であろうとすればそういう記述は排除するしかないのである。 本領安堵状に感傷を書き綴る馬鹿はいない。 こういう心のひだに触れたければ、自ら学習して原資料にあたるしかないだろう。 ▲本書においても資料の取捨選択による味付けは避けられない。 これは考古学・歴史学がいまだ解決できていない、いわば「解けない微分方程式」と同じ範疇の課題だと思う。 この課題が今後どう展開していくのか楽しみである。
▲たとえば「一日の生活を時系列に解説する」というのではなく、いくつかある資料から読み取れることもとに点描的に叙述するという構成である。 ジャンルは多岐にわたっているがあくまで断片的に書き連ねていく。 学術的な手法を重視すればどうしてもこういう書き方になるしそれは一つの表現方法として歓迎すべきことである。 ▲しかしそういうスタンスを取るならそれに徹してほしかった。 この著者は現代人の倫理観や価値観をもって古代人を評するという過ちを犯している。 如実なのは女性観、奴隷観。 栄華の極みにあったとはいえひとつ気を抜けばあっというまに ~史実が示すように~ 内乱や侵略の憂き目を見たローマ人に、現代特にぬるま湯のごとき社会に生きている日本人のような贅沢な生き方が許されただろうか。 また、人間は社会的に全く発達しない生き物なのだろうか。 この本を読むとそういうことまで考えさせられてしまう。 ▲つまりこれは「読み物」なのである。 一昔前にはやったローマ通史物語のように「こういう切り方や書き方もあるのだな」というふうに読むべきものなのである。 その点を踏まえて読めばこの本はなかなかためになる。
最初から「疑似科学=悪意」という図式で割り切れる人ならば、この本は痛快に読めるに違いありません。疑似科学のインチキとそれを利用する人の悪意をとことん述べた本です。 たしかに「占い」とか「磁気」など、明らかに怪しい商売や商品があり、金儲けに利用されています。 ただ、「科学的に証明されていないものだから疑似科学だ。すなわち悪だ。」という論調には、中立的な立場で読もうとすると、ついていけないものを感じます。中には学者の言うことを信じてほかの人にも良かれと思って広めようとした人もいるでしょう。そのような機微に全く触れられていず、最初の「疑似科学=悪意」の図式だけで論を進めていくのが果たして正しい立場なのか、疑問を感じました。 もっといろいろな立場から十分取材し執筆すべきでした。そうすれば、肝心なところで「~であろう」「~だからに違いない」「~と推測できる」などという推論に終わることはありませんでした。十分な根拠をバックに、謙虚に持論を展開し、万人が納得できるような立派な書になったでしょう。
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徳川家康
▲なかなかうかがい知れない家康以前の松平家の様子も可能な限り述べている。 そういう点に加えてできるだけ原資料に忠実であろうという点が、家康の実像に迫るうえで効果的に働いている。 家康通史を読みたいという方におすすめ。 ▲この本を読むと、時代の流れに翻弄されながらも自国領土の保全のために最善の手を模索し続けた、ほかの戦国武将と全く同列の家康が浮かび上がってくる。 家康が特殊なのはそうしているうちに何のめぐり合わせか天下人になってしまったことで、もしかしたら当の家康がいちばんびっくりしているのかもしれない。 ▲歴史の流れや周囲の状況とかかわる家康は見えてくるが、家康の感情や機微はこの本からは窺いづらい。 まあこれは当然といえば当然で、資料に忠実であろうとすればそういう記述は排除するしかないのである。 本領安堵状に感傷を書き綴る馬鹿はいない。 こういう心のひだに触れたければ、自ら学習して原資料にあたるしかないだろう。 ▲本書においても資料の取捨選択による味付けは避けられない。 これは考古学・歴史学がいまだ解決できていない、いわば「解けない微分方程式」と同じ範疇の課題だと思う。 この課題が今後どう展開していくのか楽しみである。
古代ローマの生活
▲たとえば「一日の生活を時系列に解説する」というのではなく、いくつかある資料から読み取れることもとに点描的に叙述するという構成である。 ジャンルは多岐にわたっているがあくまで断片的に書き連ねていく。 学術的な手法を重視すればどうしてもこういう書き方になるしそれは一つの表現方法として歓迎すべきことである。 ▲しかしそういうスタンスを取るならそれに徹してほしかった。 この著者は現代人の倫理観や価値観をもって古代人を評するという過ちを犯している。 如実なのは女性観、奴隷観。 栄華の極みにあったとはいえひとつ気を抜けばあっというまに ~史実が示すように~ 内乱や侵略の憂き目を見たローマ人に、現代特にぬるま湯のごとき社会に生きている日本人のような贅沢な生き方が許されただろうか。 また、人間は社会的に全く発達しない生き物なのだろうか。 この本を読むとそういうことまで考えさせられてしまう。 ▲つまりこれは「読み物」なのである。 一昔前にはやったローマ通史物語のように「こういう切り方や書き方もあるのだな」というふうに読むべきものなのである。 その点を踏まえて読めばこの本はなかなかためになる。
疑似科学入門
最初から「疑似科学=悪意」という図式で割り切れる人ならば、この本は痛快に読めるに違いありません。疑似科学のインチキとそれを利用する人の悪意をとことん述べた本です。 たしかに「占い」とか「磁気」など、明らかに怪しい商売や商品があり、金儲けに利用されています。 ただ、「科学的に証明されていないものだから疑似科学だ。すなわち悪だ。」という論調には、中立的な立場で読もうとすると、ついていけないものを感じます。中には学者の言うことを信じてほかの人にも良かれと思って広めようとした人もいるでしょう。そのような機微に全く触れられていず、最初の「疑似科学=悪意」の図式だけで論を進めていくのが果たして正しい立場なのか、疑問を感じました。 もっといろいろな立場から十分取材し執筆すべきでした。そうすれば、肝心なところで「~であろう」「~だからに違いない」「~と推測できる」などという推論に終わることはありませんでした。十分な根拠をバックに、謙虚に持論を展開し、万人が納得できるような立派な書になったでしょう。